DAWN OVER THE CLOVER FIELD

名胡桃城址

週末になるとお天気崩れる我が県を脱出し、オフ会に向かう度に目の前を素通りばかりで、いつか見学してみたいと思っていた念願の城跡にようやくお邪魔してきました。名胡桃城址はNHK大河「真田丸」の放映に伴い、平成27年(2015年)に土塁などの一部を復元する保存整備工事が行われています。現在も真田家イラスト入り幟旗などが見られ、時折あられの舞う寒い中、良く整備された史跡公園の主要部を見学してきました。...

津川城跡

【津川城】津川城は、別名を「狐戻城」「麒麟山城」ともいい、麒麟山(通称:城山)の阿賀野川と常浪川の合流部に半島状に突き出た山稜の先端部(標高140m地点)に築かれています。津川城の始まりは、建長4年(1252年)会津守護芦名氏が、一門の藤倉盛弘に、会津領の西端防備のために築かせたと伝わります。藤倉盛弘の次の盛仁の代から金上姓を名乗り、芦名家の重臣として代々津川城主を勤めました。以来、代々金上氏の居城となっ...

諏訪高島城址

この日は蓑輪町で赤そばを愛で、そして食し。。。その後の予定は未定だったので、午後からはブラブラと諏訪湖見物をして帰ろうか!という話になりました。諏訪湖にナビを入れて車を走らせていると、湖の手前でお城を発見!見事な天守閣も目に留まり、これは是非立ち寄らないと。。。と。【高島城】日本三大湖城のひとつ高島城は、天正18年(1590年)豊臣秀吉の家臣・日根野織部正高吉により、諏訪湖畔に築かれた城です。(文禄元...

沼田城址

沼田市指定史跡【沼田城址】沼田城は、天文元年(1532年)に三浦系沼田氏12代・万鬼斎顕泰が約三年の歳月を費やして築いた城です。当時は蔵内(倉内)城と称し、沼田市街地発祥の要で、沼田市の歴史の起点でもあります。築城から48年後の天正8年(1580年)武田勝頼の武将・真田昌幸が入城し、城の規模を拡大します。天正18年(1590年)昌幸の長子・信幸が沼田領2万7千石の領主となり、慶長年間に五層の天守を建造します。その後、5代91年...

金山城館遺跡

一寿さんの開店を待つ間、近くを散策してみることにしました。大峰山は今年の山桜はすっかり終わったこともあり、もう1つ出ていた大きな案内看板にあった「願文山」に従い道を進んでみると。。。住宅地に入るとみるみる道が狭くなり、真正面に見える1つの山。「これ、山城の雰囲気だよね!」と、いつもの病気が出るσ(o・ω・o) 私。しかし、本当に城址でした。。。この町並みの造り。城館跡より望む   中央奥の山が願文山城址と...

天神山城址(越中)

天神山城址は魚津市街地の北東い位置し、片貝川と布施川に挟まれた台地上にある天神山(標高163m)と呼ばれる独立丘陵上に築かれた山城です。 山頂には大きな2つの曲輪があり、本丸の二の丸に相当します。 本丸の中央部には一段高く設けられた狼煙台があり、魚津城を望むことが出来ました。 また、本丸の南側には眼下を流れる片貝川に沿って長大な土塁が設けられています。 さらに山頂から山腹にかけて、大小様々な竪堀が残っ...

大峰城址

築城時期は明確ではありませんが、天文年間の初期ともいわれています。大峰城は武田方の旭山城の向城として上杉方が築いた山城で、葛山城主・落合備中守が善光寺・戸隠別当の栗田氏を強く意識し、家臣・大峰蔵人に与えた城といわれています。天文22年(1553年)から5回にわたる川中島合戦で、大峰城を中心とする山城は甲越双方にとって最前線の突破口として、また守備陣地として重要であったため幾度か争奪戦が行われます。弘治元...

健御名方富命彦神別神社/善光寺横山城址

「善光寺奥の院」繋がりで訪れた駒形嶽駒弓神社。しかし、現地に出向き勉強すると、「式内名神大」「水内神社の奥社」など新しいワードが出て来て、話は複雑になりさらに勉強。延長5年(927年)にまとめられた『延喜式神名帳』には「信濃国水内郡 健御名方富命彦神別神社 名神大」と記載されていましたが、その後所在がわからなくなってしまっています。鎌倉時代末期の「釈日本紀」では、健御名方富命彦神別神社が水内神社のこと...

牧之島城址

牧之島城址 (長野県史跡 昭和41年3月指定)この城は、永禄9年(1566年)武田信玄が、甲州流兵学者で、築城術に優れた馬場信房(美濃守)に築かせ、越後に対する警衛と更級・水内山部の鎮撫にあてた城です。もとは香坂(高坂)氏の城の一部で、犀川の大拗曲部を利用して新たに縄張りしたもので、虎口の丸馬出し、本丸脇の隠れ馬出し(千人枡)をはじめ、諸所に築城の妙をこらしています。天正3年(1575年)5月21...

小木ノ城・屋敷跡

松本氏の居館に関して、明確なことはわかっていないのですが、三島神社や薬師寺周辺が候補地として上がってきます。まずは、JR小木ノ城駅の西南に位置する、船橋集落にある三島神社の境内へ。三島神社は、島崎川沿いの旧道やJRが望める、比高15mほどの小高い場所にありました。三島神社境内の様子奥州征伐の折、源義家がこの地に八幡宮を創建したのが始まり。後に、別の場所にあった三島神社(大山祇命を祭る)をここに合祀し...

小木ノ城址

小木ノ城は、標高345m(比高300m)の西山丘陵の中央に築かれた山城です。小木ノ城に関する伝説は多々ありますが、古文書に明記されているのは今から約650年前の南北朝時代、建武2年(1335年)頃からと伝わります。この時代、新田氏とともに南朝方で活躍した小国氏の一族を伝える荻(小木)野遠江守の居城となります。延元3年(1338年) 越前国藤島で新田義貞が戦死したことにより、越後の南朝勢力は次第に衰...

岩野城址

岩野城は、東西に連なる曽地丘陵の尾根上、標高165mに位置し、別名を水梨城といいます。城の特徴などから、永正~天文年間(1504~1555年)頃に築かれたと考えられ、刈羽郡へと通じる薬師峠道の往来を監視したと思われます。この城には、はじめ加藤左京太夫、のちに上杉家の家臣・黒川備前守が在城していたと伝えられています。雪国植物園園内案内図案内図を見てもお分かりのとおり、岩野城址は現在雪国植物園になって...

巻館跡

【巻館跡】 新潟市史跡巻館跡(まきたてあと)は、巻の市街地の北西隅に位置する中世城館跡です。現在は、住宅地や道路になっています。発掘調査などが行われていないため、不明な点は多いのですが、濠や土塁に囲まれた長方形の館とみられ、南北約135m、東西約160m余りに及ぶ大規模なものと推定されます。館跡からは、十五世紀代の珠洲(すず)焼きの壷や中世の土師器(はじき)などが出土しています。巻館の起源は不明で...

魚津城址

【史蹟】 地形を利用した中世の平城 魚津城址魚津は、古くから越中東部の新川部の中心として栄え、北国街道が通る交通の要所であったことから、建武2年(1335年)椎名頼胤によって築かれた城といわれています。以後、松倉城の重要な支城として機能していました。角川の河口近く、南は角川、北に神明川(現・鴨川)、東を深田、西が海岸に接する要害の地でした。椎名氏の後、上杉氏による越中支配の拠点でありました。天正1...

富山城址

天文12年(1543年) 越中守護代の神保長職(ながもと)によって築かれたといわれ、安住城・浮城とも呼ばれていました。富山は北陸道と飛騨街道が交わる交通の要にあり、北・西側は神通川に囲まれた要害の地でもありました。また、神保長職と対立していた椎名氏への前線基地としても好立地だったと思われます。しかし、永禄3年(1560年) 神保長職は上杉謙信に破れ、富山城は上杉家の支配下になります。その後しばらくは...