DAWN OVER THE CLOVER FIELD

繋ぎ榧@了玄寺(西養寺)・護摩堂山自生地

やっぱり、お寺にはシャガがよく似合う!丁度、大好きなシャガの花が綺麗だった頃にやって来たのは、護摩堂山の麓にある、親鸞聖人ゆかりのお寺、真宗大谷派の了玄寺。このお寺には、越後七不思議の1つである“繋ぎ榧” が存在します。実は、繋ぎ榧の旧蹟寺は現在は新潟市酒屋にある西養寺なのです。西養寺は、かつてはこの田上に存在し、真言宗のお寺でありました。しかし、親鸞聖人の教えにより浄土真宗へと改宗し、元亀年間(1...

八房梅@梅護寺

阿賀野市は小島にある 浄土真宗本願寺派のお寺、梅護寺です。(お寺についての説明、親鸞聖人との関わりなどは、前記事 珠数掛桜 にてしていますので、そちらをご覧ください。)このお寺には、越後七不思議のうちの2つがあり、その一つが前回の「珠数掛桜」。そして残る一つが、今回の「八房梅」です。1年間の越後での刑が終わると、親鸞聖人は越後各地で布教活動に入り、承元3年(1209年)11月末頃から 承元4年(121...

梅護寺珠数掛桜@梅護寺

阿賀野市は小島にある浄土真宗本願寺派のお寺「梅護寺」にお邪魔しました。文化10年(1813年)西本願寺19代本如上人から御降された西大谷本廟の親鸞等身御影が下付されたことにより、別院資格が与えられた寺院です。 承元元年(1202年)35歳の年に念仏弾圧によって越後の地に流刑となった親鸞聖人は、国府で1年の流刑生活を過ごし、その後、越後各地でお念仏の教えを説かれていました。承元3年(1209年)...

逆ダケ@西方寺旧跡

鳥屋野にある 西方寺旧跡 です。 承元元年(1207年)親鸞聖人35歳の時、念仏弾圧によって越後に流罪となりました。居多ヶ浜に上陸した親鸞聖人は、流罪1年目は国府代官監視の元、米と塩をもらいながら「延喜式」による流人生活を 竹之内草庵 にて送り、翌年からは 竹之前草庵 へと移り、恵信尼と共に自給自足の農耕生活をしながら越後の人々と交わっていく事になります。親鸞聖人が越後で過ごされたのは7年間ですが、...

三度栗@考順寺

お邪魔したのは、阿賀野市保田にある 考順寺 。お寺の標柱にも “焼栗山” の文字があるので、県内の人だったら、ピンとくる人も多いでしょう。親鸞聖人にまつわる越後七不思議のひとつ “保田の三度栗” でも有名なお寺です。焼栗山 考順寺 は真宗 大谷派 の寺院で、当初は専念寺と称し、以後、願成寺、長福寺、本詳寺と変わり、江戸時代中期に現在の孝順寺となりました。現在の寺域と建物は、かつて越後千町歩地主の一人であった斉藤...

山寺薬師・聖の窟

人柱供養堂を後にし、車はさらに山の上へと進みます。板倉区の中心地から、東南に約8キロの地にある山寺薬師は、千数百年前から山岳仏教の拠点として、三善一族の帰依を受け、山寺三千坊といわれたほどの一大勢力を有していた場所です。駐車場に車を停め、樹齢700年と言われる杉並木の続く石段をのぼって行きます。階段の中ほどから、両サイドには石仏が見られますが、傍に行ってお顔を見たら、あまりにもビッグスマイルで、一...

新井別院

旧新井市街地の北部の北国街道沿いに、真宗大谷派の本願寺別院があります。参道を進むと両側に3つの寺院があり、願楽寺境内に親鸞聖人像が置かれています。毎年11月1日~4日になると、地元では “おたや” の名で親しまれている東本願寺新井別院の “報恩講” と、親鸞聖人恵信尼公を偲ぶお祭りが行われ、この参道や北国街道にも出店が並び、賑やかになります。黒門から見ると、山門の左右後方に大きな銀杏の木が見えますが、樹齢...

ゑしんの里にて

新潟県上越市板倉区は、親鸞聖人の妻・恵信尼さまが晩年を過ごした場所とされていて、恵信尼さまが建てたと伝わる五輪塔(寿塔)の一帯が “ゑしんの里” となっています。駐車場に車を停め、ゑしんの里記念館脇を歩いて来ると、敷地内のゆったりとした芝生広場と遠くに見える妙高連山の景色が綺麗です。周囲の緑、水のコントラストも美しい外観は、建築家・池原義郎氏によるものです。昭和32年(1957年)板倉区で発見された石...

浄興寺

直江津から高田の市街地へ移動してくると、JR高田駅の西側には60件以上のも寺院が立ち並び、大規模な寺町が出来ています。 高田藩主・松平光長公の時代の市街復興計画により、寛文5年(1665年)に形作られた寺町です。その中の1つが、浄土真宗の教祖・親鸞聖人によって創設されたお寺 “浄興寺” です。もともとは常陸国(茨城県)にあったものですが、信濃国(長野県)を経て、上杉謙信公の招きによりこの地へ移って来た寺...

光源寺

竹之前草庵のあった国府別院前の加賀街道(北国街道)を500m程移動すると光源寺があります。光源寺は、建暦元年(1211年)親鸞聖人の弟子・最信が開いたといわれているお寺です。最信は木曽義仲の家臣でありましたが、親鸞聖人に深く信心し、親鸞聖人の流罪が決まった際に弟子となった人物です。天正3年(1575年)教如上人より寺号を賜り、覚円坊を改め光源寺と称するようになり、享保17 年(1732年)真如上人...

竹之前草庵(国府別院)と柳清水

親鸞聖人を巡る旅。。。次なる目的地は 国府別院 です。承元元年(1207年) “承元の法難” により親鸞聖人35歳の時、越後国府に流罪となります。建歴元年(1211年) 流罪赦免となりますがすぐに京へは戻らず、42歳までの7年余りを越後で念仏の教えを広める活動をされます。建保2年(1214年) 親鸞聖人が常陸の国(茨城県)へと出発された後は門侶の覚善が「親鸞配所御草庵安養道場」としてお念仏を相続していまし...

竹之内草庵(五智国分寺)と鏡ヶ池・養爺清水

五智国分寺の境内には “竹之内草庵” があり、ここはまた、親鸞聖人ゆかりの地でもあります。“竹之内草庵”は、当時 竹林に囲まれていたのでそう呼ばれたらしいですが、現在の建物は、明治6年に近隣の僧侶によって建てられたものだそうです。▲写真左に見える石碑に 「国府小学校発祥の地」 の文字がありますが、国府小学校は、明治7年(1874年)ここ五智国分寺の境内に開校したそうで、この建物が使われていたのでは。。。と思...

片葉の葦@居多神社

以前、「天地人」を巡る旅でもお邪魔したことのある 居多神社 ですが、ここには親鸞聖人の越後七不思議の第一番目に登場する“片葉の葦” がある事でも有名な、もう1つの越後一の宮です。前回の訪問の時は、まだ冬枯れの頃。しかも、予備知識もなく出掛けたので、この時に「葦」の存在にも気づかず。(~_~;)今回改めて出掛けてみると、車を停めてすぐの駐車場の前に目的である「葦」が群生してありました。...

親鸞聖人上陸の地

居多神社より、僅か数百メートル程行くと 居多ヶ浜 があります。塀に囲まれたこの付近が“親鸞聖人上陸の地” と言われる場所です。...

古代蓮♪

モタモタと更新しているので、すでに2週間も前の話だったりします。お天気続きだった週末(7月23日) の午前中、美術館脇にある “古代蓮” の池を訪れました。ここにある古代蓮は、昭和26年(1951年)千葉県検見川地区から発掘された約2千年前の蓮の種子3つを、大賀一郎博士の手によって丹精に育てられ、そのうちの1粒から発芽・開花したもので、別名を「大賀ハス」とも言います。元・上越教育大学教授 堀米勢吉氏のご...