DAWN OVER THE CLOVER FIELD

燕喜館

せっかく来たのでお詣りし、単なる通過点にするはずだった白山神社で思いがけず寄り道をしてしまいしたが、ここからは軌道修正し、白山公園内にある燕喜館へと向かいます。...

白山神社本殿の裏側には。。。

古町糀製造所で糀ドリンクを購入し、それを頂きながらぶらぶらと数分歩くと、新潟の総鎮守である白山神社(地元の人は親しみを込め「白山さま」と呼ぶ)に到着します。みなさんは、「半年詣」 や 「夏越大祓」 などという言葉を聞いたことがありますか⁉私は、今年の8月に義父の新盆があるため、ちょっと調べものがしたくてネット検索中に偶然にこの言葉を聞いたのですが、1年を半分過ぎた6月(水無月)に、ここまでの半年間の厄...

旧齋藤家別邸・庭園編

夏だけを過ごす目的で造られたお屋敷から出て、度は涼しげな山と美しい自然の風景を再現した、旧齋藤家別邸の池泉回遊式庭園を散策していきます。砂丘地形を巧みに利用し、都会でありながら深山谷幽の趣を仕立て、周辺には見られない滝や沢流れ、池泉といった水辺の空間をつくり上げた回遊式庭園の作者は東京の二代・松本幾次郎(1858~1936)とも、その弟の亀吉(1877~1925)とも言われていて、完成までに3年と...

旧齋藤家別邸

旧齋藤家別邸は、明治から昭和初期にかけて新潟三大財閥(鍵富家、白勢家、そして今回の齋藤家)の一つに数えられ、貴族院議員を歴任した豪商・四代 齋藤喜十郎氏(1864~941)が1918年(大正7年)に建てた、避暑のための別邸です。齋藤家の本宅は、かつての東堀通り7番町にありました。その一部は白山公園内に移築再建され、現在は燕喜館として活用されています。戦後、この邸宅は進駐軍による接収を経て、1953...

地獄極楽小路

新潟市の繁華街から少し入った場所。。。西大畑を散策中に見つけた、何の変哲も無さそうな1本の細い路地。「地獄極楽小路」と、なんともインパクトのある名前が目に飛び込み、本題そっちのけで初っ端からちょっと脱線!小路を挟み向かって左側の黒い塀は、新潟の老舗料亭 『行形亭』 がある。これで「いきなりや」と読み、表札にも「行形○○」と書かれている。向かって右側、レンガ造りの塀の中は、現在、社会保険事務所や西大畑公...

砂防

信濃川左岸の砂州や中洲が “島” となり、新しい土地として活用される一方で、海岸側にも土砂の堆積により、次第に砂丘が伸びていきます。嘉永年間(1848~1854年) 仲役所の手代たちが、寄居村から土地を借りて山手(砂丘がある海岸よりの土地)側に家を建てるようになります。高台であったため、最初に朝日が当たる事から 「朝日町」 と名付けられ、今の旭町の誕生となります。一方で、砂丘は別の問題も生み出してしまい...

曙公園

田畑の殆ど無かった新潟町では、市場無くして生活は出来ませんでした。文化9年(1812年)頃になると、五菜堀(御祭堀)に入る船で運ばれた野菜などの商いが五菜堀(御祭堀)の下で市として立つようになり、それが現在の下本町市場のはじまりです。本町下市場近くにある曙公園です。白山公園、礎公園に続き、県内で3番目に出来た公園です。江戸時代のはじめ、新潟町の北の外れ、当時の信濃川の河口近くに洲崎町とか浜町とか呼...

浅草観音堂

昔の運上通りである湊町通りを抜けてある “浅草観音堂” です。湊町の神社は、これまでも住宅地の合間にひっそりとあるものが多かったですが、観音堂も周囲の雰囲気に溶け込んだ中にあるので、一度目は車で通り過ぎてしまいました。(~_~;)東京浅草にある浅草寺では、明治開港五港の安全を祈願するため聖観音像を造り、各港町へ分身される事になり、明治12年(1879年)この地へも観音様がやって来られ、開かれたのがこのお堂で...

礎公園と大円寺公園

安政5年(1858年)に修好通商条約で新潟が湊場の1つとしてあげられ、明治元年(1868年)に新潟湊が開港し、翌年に新潟運上所が建設されると、これを機に、明治初期の町並みの改正が始まって行きます。江戸時代中期なり、町の東に寄りついた中州は “島” と呼ばれ、秣島、榛島、上島、下島などが次々にでき、島は新しい土地となり開発が進んで行きました。宝暦8年(1758年)の飢餓による不況対策として、“上島” ...

下町巡り@湊周辺にて

石山味噌醤油(株)味噌蔵昔の運上所道(現・湊町通り)にある石山味噌醤油(株)です。創業 明治39年の老舗の味噌・醤油屋さんです。ここから見える味噌蔵は創業当初からのもので、2000年4月に噌蔵3棟が有形文化財に登録されています。現在でも、昔と同じようにこの味噌蔵で味噌を作っているそうです。味噌は生き物と同じ。。。杜氏の腕ももちろんでしょうが、「蔵ぐせ」とでもいいましょうか、長年使い込んだ蔵からこそ...

下町神社巡り@開運稲荷神社

日和山にある住吉神社から、さらに下に行くとあるのが開運稲荷神社です。宇迦之御魂大神、大国主命、恵毘須の3神を祀り、全国でたった1つの「運を開く」神社だそうです。参道には、「こんこん様」 と呼ばれる1対の狐の石像があります。明治の初め、出雲国(島根県)の回船が越後の米を買うため新潟にやって来ます。その時、往路は空船で船が安定していないため、出雲石をおもりとして船に積み込んで来ました。「こんこん様」は...

下町神社巡り@金刀比羅神社(寄合町)

横七番町通り(熊谷小路)から入ると、境内の巨木が目印になる金刀比羅神社です。「ことひらじんじゃ」と読みます。神社の名からも分かる通り御祭神は 大物主大神(金毘羅大権現)で、別名を大国主大神ともいい、七福神のひとり大黒様でもあります。香川県 金毘羅宮の分霊を祀ってあるそうです。鳥居を潜ると、すぐ右手には 戸隠神社もあります。昨年12月にお参りに行ったパワースポットですが、また行きたいな。。。と思ってい...

下町神社巡り@湊稲荷神社

みなとぴあの正面から、右手の道を真っ直ぐ進んだ先に、こんもりとした樹木に囲まれた神社があります。享保元年(1716年)の創立と伝わる湊稲荷神社です。湊に入る船は、この神社の森を目当てにしたといわれ、今でも、海運、漁業関係者からの信仰を集めています。鳥居を潜ると、「願掛け高麗犬」と呼ばれる狛犬がいます。この神社の花崗石で出来た高麗犬は中心に軸が通り、台座と石像の間にはあそびがあり、像が回転するように...

下町神社巡り@豊照稲荷神社

こんぴら通りから広小路交差点を抜け、さらに真っ直ぐ進むと、住宅地の中にひっそりと1つの神社が佇んでいます。江戸時代、この場所には御嶽神社があったそうですが、明治の初めに末裔が絶え、以後この周辺の町名の由来ともなった 本間次右エ門 という人が、個人的な稲荷神社として祀ったのが始まりです。個人所有の神社ではありましたが、近隣の人々の信仰を集め、町名や小学校名にまでなった由緒ある神社でもあります。この神社...

下町神社巡り@金刀比羅神社(西厩島町)

明治30年代から大正にかけ、夜市や映画館など、庶民の楽しみの場として新潟一の繁華街だったという「こんぴら通り」に鎮座し、通りの名前もこの神社に由来しています。明治以前は古町十一番町の大楽院内にあった神社でしたが、明治2年(1869年)現在地に遷されました。海上安全の守護神として信仰され「島のコンピラさま」としても親しまれています。印象的な赤い鳥居を潜ると、その両脇には、年月により顔の落ちてしまった...