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奥三面ダム♪

2017年06月30日
ダムマニア
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三面ダムを見学した後は、「道が細いので、気を付けて行って下さい!」のダム事務所管理人さんの言葉をいただき、そこからさらに20㎞近く山奥にある「奥三面ダム」も併せて見学しました。(道は冬季閉鎖期が長いので、通行可能か予め確認のこと)

奥三面ダム管理事務所は、いまだ閉鎖中で無人の状態。
公衆トイレ上がヘリポートになっていて、積雪で道路が使えない時期は、月1回ヘリで人が行き、ダム点検がされるそうです。
DAM-DATA奥三面ダム (平成13年(2001年)10月完成)
場所 村上市三面
河川 二級河川三面川水系三面川
形式 アーチ式コンクリートダム
堤高 116m  堤頂長 244m  総貯水容量 12,550万立方m
伸び伸びとしなやかな「奥三面ダム」の文字は、竣工当時の平山知事による揮毫。
奥三面ダム♪

朝日連峰の以東岳(標高1771.4m)に端を発し、延長およそ50㎞で日本海に注ぐ三面川は、流域の田畑を潤す恵みの川、毎年鮭が遡上する川としても親しまれています。その一方で、夏場の渇水、大雨時には氾濫を繰り返すなど、多くの水害を引き起こしてきました。
こうした水害を防ぐため、昭和28年(1953年)に三面ダムが完成し、さらに下流部においても河川改修が行われてきました。しかし、昭和42年(1967年)の羽越水害の折、三面ダムは想定水位を大幅に上回り洪水に見舞われ、流域は甚大な被害を受けてしまいました。
そこで、三面川流域の洪水防止、流水の正常な機能維持、発電を目的として、三面ダムの上流に新たな多目的ダム建設が計画され、平成13年(2001年)10月にアーチ式コンクリートの奥三面ダムが完成しています。

こちらも県営ダムですが、先に見た三面ダムが県営最古の歴史あるものだったので、国内でも2番目に新しいアーチ式というこちらが、とても近代的に見えました。
県営のアーチ式ダムは、現在ではこちらが唯一です。
優雅な。。。というより、ガッチリ肉厚なアーチ式に思いました。

自由越流式の非常用洪水吐3門。 その下には1門の常用洪水吐が見えます。
雨の無い頃だったので、ダム湖の水位もかなり低かったと思いますが、この高さまで水が上がることが信じられないくらい高い位置にあります。

河川維持用のハウエルバンガーバルブから放流中!

私が覗き込んで撮影しているので、気づいたらDawn太も真似してこんな風でした。

堤体の曲線美。。。この辺りからだと良く分かるかな⁉ 岩盤補強が凄いですね。

天端は車道を兼ねています。

左:真上から減勢工   右:太陽光で薄っすらと虹ができていました。
奥三面ダム♪

ダムも2つ目で、そろそろよっぱら(飽きている)な子。。。

ここからは、ダム湖の様子が一望できます。

常時、木の下辺りまでが水面と思われますが、梅雨時期ということもあり、大雨による急な増水に備え、ダム水位が少し下がっていました。

一億立方m強の貯水量を誇る人造湖は「あさひ湖」の名称があり、磐梯朝日国立公園に位置し、全国屈指のブナの天然林が広がりる自然豊かなところ。
あまりの険しさゆえ、長年人の手が入らずにいた秘境の地。。。熊やカモシカ、猿などが生息している原生林が広がります。

右岸下流側にあった碑

ダム建設までの経緯や、三面集落が昭和60年に集団移転したこと、33年もの歳月と一千億円を費やし、平成13年にようやく完成した旨などが説明されていました。

今度は、右岸側下流方面へと行ってみます。

あら!こちら側からの方が、ハウエルバンガーからの放流が良く見える。

ダムが出来たことで川の流れが止まってしまうと、それまでの生態系のバランスが崩れてしまうので、それらを守る意味で、毎秒0.7立方mの水を放流し、川の流れを保っているそうです。


周辺の山々は剥き出しの岩盤も堅そう! V字型の険しい渓谷という地形です。

管理人不在時期なので、ダムカードは下の三面ダム管理事務所で配布しています。
(右)奥三面ダムカード Ver1.1 (2016.4)


奥三面ダムから、さらに3㎞ほど移動した場所に「メモリアルパーク」があります。

現在のダム湖(あさひ湖)に沈んだこの付近には、平家の落人伝説をもち、秘境マタギの里としてして知られた42戸の三面集落がありました。厳し過ぎる自然の中で、狩猟を主とした自給自足生活を送ってきた三面集落の人々は、ダム建設のため昭和60年(1985年)に閉村し、集団移転先の村上市に新しい三面を誕生させています。

集落があったことを後世に伝えるため、ダム湖の三面集落跡には「三面ここにありき」の石碑が建てられています。

一緒に並ぶ「由来碑」の裏面には、伊藤、小池、高橋の苗字が連なり、平家の落人の子孫が住み続けて来た地であることが伺えます。

三面は、旧石器時代から人類が居住してきた場所。
中世になり、平家の一族・小池氏、泥又の伊藤氏、元屋敷の高橋氏と、三氏が合流したことで「三面」という名となりました。
慶応四年の戊辰戦争の際、兵火にかかり焼失してしまいますが、自力で復興。
昭和30年以降になり、電気・電話・水道など文明の恩恵を受けながら生活しますが、昭和45年に県営ダムによる治水案が持ち上がり、当初は集落あげて反対しますが、昭和59年7月に移転補償基準妥結。昭和60年に全村移転となり、開村以来、八百年余り続いた歴史に幕を閉じています。

この地には、いつの頃か分からないような、不思議な土器が度々出土していたことが知られていました。
ダム建設と併行して行われた発掘調査の結果、この山深い秘境の地に、約3万年前、旧石器時代に人間が住んでいたことや、縄文時代には約2千年にわたって19箇所の集落を営んでいた跡が発掘され、全国的にも注目されました。
出土品からは、日本各地と交流を物語る土器や石器、ヒスイ製の玉などが数多く発掘されています。
奥三面ダム♪

土器や住居跡のほか、川の付け替えや護岸工事、砂利を敷いた舗装道路などの跡も見つかり、全国的にも例のない縄文時代の土木工事跡の発見となりました。出土品は、縄文の里・朝日「奥三面歴史交流館」に展示されています。
こちらもまたいつか。。。


三面ダムから奥三面ダムへと向かう際、一番最後に通るトンネルが「舟曳トンネル」
行きの道で、そのトンネル手前に石碑を見つけて気になったので、帰りに立ち寄ってみました。

近づいてみると、記念碑ではなく殉職碑。。。花入れが倒れていたので、旦那が直してあげていました。
石碑はまだ新しく、平成3年5月に(株)福田組が建立しています。
昭和31年2月、三面発電通路の新設工事中に殉職者された男性2名の名が刻まれていました。

多くの犠牲の中、今の自分たちの安全な生活があるのだと感じました。

----- Saturday, June 24, 2017 (Dawn太 2歳4ヶ月 / 生後852日)-----
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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