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Dawn太と行く天下の嶮♪

2017年04月09日
Dawn太_0-2歳
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本年度は、4月1日早々に「狂犬病予防接種」を完了させたので、翌日だったこの日はまだ無理な運動もできないことから、Dawn太のロング散歩を兼ねて、以前に勉強したことのある「道の歴史」の復習旅に行ってみました。

まずはじめに訪れたのは、幾度となくお邪魔している、大きな青銅製の亀オブジェがシンボルになっている 親不知ピアパーク

親ガメの名は「Million」 左眼から、天使が飛び出ているという斬新なデザイン。

そして、是非Dawn太と会わせたかったのが、向かって右側にいる子ガメの「Orion」
Dawn太、オツムが・・・だから、全く理解できていないけど。

潮の香りのする場所で遊べると勘違いしている、ちょっと哀れな子を引き連れ海岸へ!

Dawn太の後ろに見えているのは、北陸自動車道です。
この辺り、昔の北陸道最大の難所と言われた「親不知」地帯で、断崖の続く陸地にこれ以上の道が造れず、高速道路が海に迫り出してしまっている箇所なんです。
最寄りの親不知ICは海上にあることで珍しく、有名なんですよ。
昭和63年(1988年)完成の北陸自動車道。。。後に出てくる4世代の道です。

この辺りの海岸。。。コロコロと大きめな丸い石が多いのですが、よ~く探すと、中にヒスイの原石を見つけられる場合もあるという話です。

Dawn太もよ~く探してみてね。   。。。って、探すフリして休んでるでしょ!
Dawn太と行く天下の嶮♪

天険親不知区域の中でも、この辺りはまだ、波打ち際も広めで平穏を感じます。

天険断崖黎明   切り立った崖から、天険の様子が垣間見える展望所です。

お天気も良く、空気も澄んだ日だったので、遠く能登半島までクッキリ!

親不知コミュニティロード 奥の細道で、親不知の海岸を歩く芭蕉と曽良を再現した大きな人形が入口の目印です。

駐車場付近から続く全長約400m、高低差約80mという、細く整備された国道8号下の絶壁道を、沢の音を聞きながら海に向かって下って行きます。
Dawn太と行く天下の嶮♪
斜面には、青みの強いキクザキイチゲが群生していて、とても綺麗な春の光景が広がっていました。

駐車場から4~5分も下ると、天険親不知の断崖絶壁を貫通させて整備された北陸線の旧風浪隧道が目に飛び込んできます。
Dawn太と行く天下の嶮♪
沢に分断されたかたちで、私たちが歩いて来た道側にあるのが旧親不知隧道。
大正元年(1912年)の開通から、線路が複線になる昭和40年(1965年)までの53年の長きにわたり、旅客や貨物の輸送を支えたものです。
Dawn太と行く天下の嶮♪
2年前に行った時、隧道内は立ち入り禁止になっていましたが、安全確認作業も終了し現在は通行可能になっていました。
ちび子が一緒なら、隧道内の見学ができるのを喜んだでしょうが。。。私、この場所が苦手で!ここだけ空気感が全く違う気がして、隧道内に入るのも躊躇われる場所なんですよ。(Dawn太でさえ平気そうに入っているので、大丈夫なのでしょうが。。。)
Dawn太と行く天下の嶮♪
入り口付近には、隧道側面と天井のレンガの積み方の違いが説明されていました。
薄暗い中、改めて目を凝らしてみると、SLが走った時代の煤跡が残るのも見えます。
あ~ぁ、怖いからおいて行かないでぇ~!

隧道へと通じているこの道。。。北アルプス最北部の縦走路である「栂海新道」の起点でもあるのです。


最後の階段下は、荒波に削られて丸くなった大きな岩がゴロゴロしていて足元が非常に悪いので、まさに「親不知子不知」の状態!
お互いに自分の身は自分で守りましょう。。。ということで、Dawn太もリードを外し身軽になって海岸へ!

この、道があるのか無いのかも分からない波打ち際を通過したのが、「親不知子不知」の名の由来にもなった、険しい初代の北陸道です。

海が荒れると、こんな風に窪地になった場所は天然の避難所となり、一旦非難した旅人は、荒波がおさまるまで1週間もこんな場所に滞在したという話も。

せっかくフリーになったDawn太も、何か感じるものがあるのか? 旦那がゆっくり浜辺まで来るのを待ち、リードを着けてもらうと、何か安堵した感がありました。

戻る道、沢の水を美味しそうに飲むジョウビタキの姿が。。。
Dawn太と行く天下の嶮♪
今は自然豊かで静かな場所ですが、遠い昔、たくさんの人が苦労した場所なので、何度出掛けてみても、冷たい空気感が漂います。
私一人だったら、絶対に行けない場所です。

様々なドラマのあった場所ですので、親不知は多くの文学作品の中にも登場しており、コミュニティロード入口には句碑が建てられています。

四世代道暮色 明治期に整備された第2世代道からは、時代を変えてできた各世代の道が眺められ、先人の苦労が偲ばれます。

洞門の見える国道8号は、昭和41年(1966年)完成の3世代の道です。
Dawn太と行く天下の嶮♪

立っている旧国道8号(旧道)が2世代の道

この旧道は、明治天皇北陸東海巡幸のため 明治11年(1878年)に国道開通運動が起こり、明治16年(1883年)に完成した、日本海側の東西を結ぶ大動脈です。

現在残されている旧道の断崖直下が、親不知の中でも最も危険箇所だったところ。
新道開通の折、その喜びを表したのが、この絶壁に刻まれた文字「如砥如矢」
砥石のように滑らかで、矢のように真っ直ぐであるという意味です。


この第2世代道の開削に力を尽くした青海の人、富岳磯平氏の書といわれています。
Dawn太と行く天下の嶮♪
さらに絶壁には「天下之嶮」と大きく刻まれ、その横には縦書きで「波激す 足下千𠀋 親不知」「昭和二十五年九月」のほか、数名の人名が掘り込まれているのが読み取れます。

北陸道最大の難所を無事に越え、芭蕉ゆかりの 市振宿 へと到着です。

「明治天皇市振御小休所跡」を通り過ぎると間もなく 市振関所跡
旅人の検問のための番所と、海上監視の遠見番所が置かれていました。

往時を物語るのは、この1本の榎のみ。。。

市振宿の入口にあった「海道の松」が倒れてしまった今となっては、歴史の生き証人であるこの榎が、末永く元気であって欲しいと願います。

県内最後の関所を越えて1里ほどで、越中側最初の 境関所跡 に到着です。
加賀百万石の偉大さあり! 市振関所跡とは、規模も随分違います。

明治2年(1869年)関所が廃止され、跡地は境小学校となりました。
その小学校も閉校になり、現在校舎は「関の館」となっています。
Dawn太と行く天下の嶮♪

以前訪れた際に修復中だった関所の池。。。春の日が反射して綺麗でした。

----- Sunday, April 2, 2017 (Dawn太 2歳1ヶ月 / 生後767日)-----
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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