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【Part58】琴平清水

2016年11月12日
Dawn太と行く名水の旅
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津川河港跡からほど近い場所にある「琴平清水」にお邪魔しました。
琴平清水

日本の三大河港のひとつであった津川

その昔、会津藩領だった津川は、会津藩の西の表玄関として船道の拠点となって栄え、岡山県旭川、千葉県、利根川と並び、「日本の三大河港」と称されたところです。塩や海産物は津川で陸揚げされ、会津街道にて陸送されました。また、会津からの廻米や産物は津川で船積みし、水運により新潟へ運ばれました。
琴平清水のある環境

江戸時代の船着場は「大船戸」と呼ばれ、150隻もの船が出入りし、100人もの丁持衆で賑わい、舟番所、藩の米・塩・蝋などの蔵や物産問屋が建ち並んでいました。
大船戸跡

イギリスの女性旅行家・イザベラ・バードは明治11年(1878年)6月10日に東京を出発し、新潟や東北地方を経由し北海道まで踏査した「日本奥地紀行」で、会津街道を通り、7月1日に宿泊地となる津川に辿り着き2泊しています。
3日の朝、船で旅立ったのは、この江戸時代に整備された大船戸の船着場だったそうで、今でも往時が偲ばれます。
大船戸跡

明治18年(1885年)に福島県令・三島通庸が越後街道、会津街道、山形街道の会津三方道路を開削し、阿賀野川沿いに道路が開通します。しかし、当時の道路事情よりも水運の方が、物資運送の効率性がより良かったことから水量の増減に対応できる、新しい「新河戸」が建設されました。
新河戸跡

大正初期まで、塩や海産物などの陸揚げ、薪炭、木材、特産物などの積み荷港として活用されましたが、鉄道の開通によって衰退し、筏流しの拠点港として維持されてきました。
新河戸跡

新河戸跡にいるDawn太

その後の昭和2年(1927年)阿賀野川本流下流部に鹿瀬ダムを建設したのを皮切りに次々ダム建設が進んだことにより、河港としての機能を失っています。
麒麟橋跡

地元の暮らしを支え、丁持衆の喉を潤した琴平清水

清水を守るように水神様が祀られていました。

宝暦9年(1759年)12月、御番所の新見半蔵と町代の藤左衛門が、水上の安全と港町の繁栄を願って、御小屋の琴平山に琴平大権現を勧請しました。この「御小屋」とは、集落にある標高100mほどの小山で、中世よりの山城であった御小屋館(琴平山城)のこと。ここに、海上交通の守り神である「琴平大権現」をお祀りし、留守をあずかる家族は清水とお供物を添え、安全を祈願したのでしょう。地元の人の暮らしを支えた清水は、帆船や筏乗衆、船荷の積み下ろしをする丁持衆の喉をも潤しました。

待つ側、待たれる側、河港が盛大だった時代が垣間見えるようです。
琴平清水

平成の大合併以前の旧津川町では、平成5年(1993年)に清水の水槽回りの改良と平垣の新設等の周辺整備を行い、現在も身近な水場として利用されています。
長年使い込まれた石水槽は、底部に緩やかなカーブができているのが確認できます。
水場に見えるマンホールの蓋にも、帆船がデザインされて津川らしいですね。
琴平清水
琴平清水新潟県の名水
  • 場所 阿賀町津川9区地内
  • データ 水量 毎分37L|硬度 35mg/L|PH 6.0
琴平清水を飲むDawn太

湧水量は豊富で、水は少し温め(多分13~15℃程度)。クセ無く、まろやかな水でした。

水場周辺は手入れが行き届き、整理整頓されています。
台所用品が多数置かれ、上水道が整備された現代でも、地元民が多いに活用している様子が伺えます。
琴平清水

----- Sunday, October 30, 2016(Dawn太 1歳8ヶ月|生後615日)-----
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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