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国宝・松本城攻め♪

2015年12月17日
お出掛け
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この日、松本城近くでお昼をいただいた理由…。
そう!食事後にDawn太を連れて、国宝・松本城へと向かうためでした。

何度もお城周辺を訪れ、松本城の姿も定着した我が家ですが、お城に夢中になっていた時期、家族一緒に始めて訪れた日は、今回と同じようにお友達の大会応援で長野入りした日だったこと、今では懐かしく思い出されます。
松本城とDawn太

2011年6月30日に発生した長野県中部地震により、埋門の石垣にズレが生じそれに繋がる埋橋を含めた修復工事が行われていましたが、丁度1年程前、昭和の修復以来になる平成の大修理も終了し、塗り替えられた橋の朱色が鮮やかでした。
この位置からだと、石垣間にある小さな裏門であること、名前のとおりに、埋もれた門であったことを実感できます。
国宝_松本城

雪の無い地方らしく、12月入ってもまだ七五三をされているんですね。(我が家地方は11月に入れば雨多く、みぞれの日もあるので、まだ好天の続く10月うちに済ませるお宅が多いと思われますので。)

観光地らしく、駐車場付近では焼き芋屋さんが出店中。これもまた季節を感じます。
松本城とDawn太

皆さんも良くご存知と思いますが、国内に残された城址のうち、江戸時代またはそれ以前に建てられた天守が現存するのは、僅かに12城しかありません。そのうち国宝に指定されているのは、兵庫県の姫路城、滋賀県の彦根城、愛知県の犬山城、2015年7月8日に国宝指定されたばかりの島根県の松江城、そしてこの長野県の松本城の5城だけです。現存する五重六階の天守の中で、日本最古の国宝の城が松本城です。

松本城は、戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりです。実はこの深志城、メインの城ではなく、信濃守護家小笠原氏が築いた林城を取り囲むように造られた支城のうちの1つでした。
その後は武田氏が治め、武田氏滅亡後の天正10年(1582年) 徳川家康の家臣となった小笠原貞慶が本能寺の変の混乱に乗じて深志城を占拠し、松本城と改名したことで、それ以後、松本城と呼ばれるようになります。
国宝松本城

天守の築造年代は石川康長の頃、文禄2年~3年(1593~4年)と考えられています。
秀吉政権時代の特徴的な黒と白の色合い。外壁には矢狭間や鉄砲狭間、石落としが設けられていて、一見すると5層のように見え実は内部は6層になっているなど、戦国期らしい戦への備えが見てとれます。

この辺から見ると、平和になった徳川時代の象徴が見えてきますね。
松本城とDawn太

天守から続く辰巳附櫓は石落しが無く、戦うために造られた黒く堅固な天守とは違い、寺院を思わせるような花頭窓が取り付けられています。

さらに隣に見える月見櫓は、寛永10年(1633年)頃からの普請で、優雅な刎ね勾欄を施した朱塗りの欄干が備えられていて、舞良戸を外すと北・東・南の三方が吹き抜けになるようになっています。こんな風に開放的な造りは、戦国期には絶対に考えられないことで、寛永年間に増築された平和の象徴であると言えるでしょう。
国宝松本城

いつ見ても美しいお城ですね。
戦国期のお城は、やっぱりこうでなきゃ!
松本城とDawn太

実は、今回の本命は松本城本丸にあらず。なので、二の丸からの城攻めのみ。ここからさらに名水を求め、三の丸周辺を散策して来ます。
国宝松本城とDawn太

----- Sunday, December 6, 2015 (Dawn太 生後9ヶ月|286日)-----
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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