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マリア観音♪

2015年11月26日
歴史を訪ねて
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松之山にある柳清水の記事のために大棟山美術博物館を調べていると、同地区には全国的にも珍しい秘仏が存在することを知り、お昼のお蕎麦を食べた後に訪ねてみました。

松之山湯山にある曹洞宗の寺院、湯元山 松陰寺

こちらのお寺には、キリシタン弾圧時代の「隠れキリシタン仏」が秘仏として存在します。
湯元山 松陰寺

天文18年(1549年)イエズス会の宣教師 フランシスコ・ザビエルによって、日本にキリスト教が伝えられます。当初、なかなか布教は進みませんでしたが、ヨーロッパとの貿易による利益に目を付けた大名により保護され、戦国の混乱期、その教えは驚くべき早さで人々に受け入れられてゆきました。キリスト教の急激な信者増とその結束力の強さは、天下統一を目指す者にとっては恐ろしい存在。天正15年(1587年)豊臣秀吉はバテレン追放令を発令。しかし、南蛮貿易は容認したので徹底せず。次いで徳川家康は、慶長17年(1612年)に禁教令発令、翌年の慶長18年に伴天連追放文を発令して宣教師を国外に追放、キリシタンへの弾圧を強化。さらに江戸幕府は、寛永16年(1639年)ポルトガル船の来航禁止し鎖国を完成。宗門改め-寺請制度、絵踏、五人組連座制、類族張などキリシタンの迫害を強めます。それは、明治6年(1873年)新政府のキリスト教禁止の高札の撤廃、弾圧の停止まで250年もの長きにわたり続きました。

江戸幕府によって厳しい迫害や弾圧を受けたキリシタンは、神道や仏教を隠れ蓑に、人目を忍んでその信仰を貫き通しました。その人々が拝んでいたのが、一見、仏像のように見える「隠れキリシタン仏」でした。仏教徒を装った信者は、江戸時代になると、遠く東北地方まで広がってゆきます。キリスト教2千年余の歴史の中で、250年もの間、独自のかたちで密かに信仰を守り伝えてたというのは、他に類を見ないことだといいます。
しかし、長きにわたる潜伏の間に、 キリスト教の信仰は仏教と神道とに融合し、隠れキリシタン独自の信仰へと変化していました。明治時代になってキリスト教禁令が解かれると、潜伏キリシタンたちの多くがカトリック教会に戻っていったのに対し、先祖が命がけで守り通した信仰をそのままの形で受け嗣いでいるのが、現代のかくれキリシタンです。

松陰寺ご本堂脇に「マリア観音参拝所」が設けられています。
堂内には、国内に3体しか無いといわれる、貴重なマリア像が所蔵されています。
松陰寺_マリア観音参拝所

この参拝窓より、マリア観音像を拝むことができます。
花頭窓の縁にタイルが埋め込まれ、和洋折衷の雰囲気が感じられます。
松陰寺_マリア観音参拝所

木造子守観音座像
松陰寺_木造子守観音座像

木造子育地蔵半跏像
松陰寺_木造子育地蔵半跏像

江戸時代のキリシタン弾圧の厳しさから、「子安観音」「子育て地蔵」として、民衆より厚く信仰された「マリア観音」「マリア地蔵」です。昭和41~46年(1966~71年)全国の木造仏や石仏を調査された元・立教大学総長である(故)高田茂氏が、松之山郷には子供を抱いた観音像や地蔵像が多くあることを発見されます。そのうちの中で、昭和41年(1966年)にマリア観音であると立証されたのが「木造子守観音座像」です。
像高さ約20cm程の観音像。光背は後に造られたものらしいです。その顔かたちからも、一見してキリスト教を連想させるものは無く、ごく普通の仏像のように見えます。ところが、観音様の抱いている幼童と十字彫刻のある金冠は取り外せ、幼童と金冠がなければ、マリア観音とは気がつかないような工夫されているのです。また、地蔵像の持つ十字の飾りの錫杖も、同様に取り外し可能になっています。
このような仕組みがある仏像は珍しく、厳しい監視の目を逃れるための工夫をしたものではないかと考えられ、「隠れキリシタンの信仰に結びつくもの」として学会で報告されました。昭和57年(1982年)には、(県民が選ぶ)にいがた景勝100選の第72位として選ばれています。

古来より、松之山郷では乳幼児の死亡が多く、子育てが困難であったことから、子どもの健康を祈るために子安観音や子育地蔵が点在し、数多く祀られているそうです。石造子育て地蔵尊は陽広寺石段、湯本薬師堂、秋葉山入口、子安峰、室野洞泉寺石段の計5体が存在。木造観音像と地蔵像は松陰寺の他に正法寺に2体、一般民家2戸に1体ずつ、東川、上鰕池、下鰕池、上之山集落の各堂に1体ずつ確認されています。また松之山郷では、切支丹禁制の高札も5枚発見されています。しかし、他に遺物が発見されておらず、残り多くの仏像全てが、キリシタン遺物と決定づけるだけの物証はないといいます。「木の葉を隠すなら森の中」・・・だったのでしょうか。

同じように、高田氏が全国調査された際に見つかっている「隠れキリシタンの遺物」残りの2体は、山形県東根市高崎・龍泉寺の「子安観音」と、北海道岩内・本弘寺の「木造逗子入聖母子地藏菩薩立像」です。(調査された昭和46年当時に)安政年間(1854~60年)作と伝わる本弘寺の地蔵尊像は、現在、岩内町郷土館に寄贈・展示されているようです。

どちらも検索すると写真で拝見できますが、三者三様な面持ちに感じ、独自の信仰のかたちで全国各地に広がった経緯が伺えるようです。より遠くへ逃げ延びたがゆえ、見つからずに今も拝める3体なのでしょうか。。。

----- Saturday, November 14, 2015 -----
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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