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秩父札所めぐり 甲午歳総開帳・その5

2014年11月17日
秩父札所甲午総開帳
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----- Sunday, October 26, 2014 ----------
秩父札所巡り。。。前週の続きからです。
この日は地元で選挙の投票日だったため、朝イチで投票を済ませてから秩父入り。ここまで来たら天然氷は外せない我が家なので、先にかき氷を食べ、11時に霊場巡り開始でした。今回は少し数を稼いで帰りたいが。。。さて、どうなるかな!?

15番 母巣山 少林寺(臨済宗南禅寺派)
市街を秩父神社に向かって番場通りを進むと、やがて札所の石碑が見えてきます。寺庭には花木が多く、伺った時間泰は庭木の伐採の真っ最中でした。
境内入ってすぐに見られる石灯籠は有章院(7代将軍・徳川家継)/ 増上寺
草創から江戸時代末期までは母巣山蔵福寺といい、秩父妙見宮(秩父神社)の別当寺として栄えてきました。しかし、明治維新の神仏判然令で、一旦廃寺になってしまいます。札所が無くなってしまうのを憂いた信者が役所に願い出て、市内柳島にあった五葉山少林禅寺を現地に移し、両寺合わせて秩父札所15番となっています。

本堂が白漆喰塗りの土蔵造りなのは、明治11年(1878年)の秩父大火で焼失した教訓を活かして再建されたためです。
天井に無数に貼られた納札が見られます。昔は、お遍路さんが参拝の折、その証にとお札を貼り付け(打ち付けて)行ったことが、現在の「札所」に繋がっているそうです。

御本尊は、明治期作の十一面観世音菩薩
その昔、近江国堅田の商人が湯尾峠を通過の折、怪者数人の「今年は近江に疫病を流行らせようとしたが、定朝(仏師)の十一面観音に阻まれて出来なかったので、東に行き彼の地を荒らそう。」という話を聞いたので、定朝自作の十一面観音を授かり、仏意の霊験によりこの地にお堂を建立し祀ったお陰で、疫病を逃れられたという縁起が伝わります。

境内には、鎌倉の建長寺にある半僧坊の分霊を祀ったお堂、子育てに御利益のある地蔵尊など祀られています。
秩父札所めぐり 甲午歳総開帳・その5
『みどり子の 母巣の森の 蔵福寺 父もろともに 誓いもらすな』


16番 無量山 西光寺(真言宗豊山派)
江戸期建立という山門。門脇には潜り戸も設けられ、その随所に当時の匠の技を感じる均整のとれたものです。

潜ってある寄棟造りの大きな本堂は宝永7年(1710年)造立。
正面欄間に見られる釈迦涅槃の彫刻も素晴らしいものです。

御本尊は、行基作と伝わる千手観世音菩薩
千本の手のそれぞれに一眼をもつとされ、どのような衆生にも漏らさず救済しようとする慈悲と力の広さを表しています。


秩父札所16番は、弘法大師関東八十八ヶ所の特別霊場でもあります。
境内には弘法大師像があり、隣にある枝垂桜との間の道を進むと、秩父札所最古の遺構である「札堂」がみられます。
元の札堂は現在の墓地付近に建ち、享保年間にこの場所に移転していて、大中山満福寺という寺に併合された旨の文献が見つかっています。
長享2年(1488年)の古番付によると、24番法泉寺が12番に、西光寺が13番、23番音楽寺が14番となっていることから、当時はその中間辺りに位置し、現地へ移ったことで16番になっていることからも、現在の34観音、日本百観音の成立の重要な意味を持ち、長享番付当時の唯一最古の遺構であるともいえるそうです。後に本尊は現本堂に移され、旧堂は礼堂として残されます。 
礼堂内からは元禄、享保時代の納札が発見され、それを打ちつけた柱の無数の釘跡が残され、歴史を感じさせます。

このお寺は、江戸から明治かけて寺子屋が開かれていたため、その門弟達により頃に建立された筆子塚です。学業成就のご利益があるそうです。
秩父札所めぐり 甲午歳総開帳・その5

仏足石の下には、四国八十八ヶ所霊場の本堂前の砂が埋められています。右足下には1~44番まで、左足下には45~88番までの霊場の砂が納められているので、両足でしっかり踏みしめてから回廊堂内に安置されている八十八佛を拝めば、四国の霊場を巡礼したのと同じご利益があるそうです。
天明3年(1783年)浅間山の噴火は、秩父の地にも大きな被害を与え、大飢饉とも重なって多くの餓死者が出る結果となり、当時のご住職が供養のためにと建立したのがこの四国八十八佛回廊堂です。このようなお堂が一寺院に建立されていることは非常に珍しく、多くの参拝者で賑わう理由のひとつでもあります。
秩父札所めぐり 甲午歳総開帳・その5

境内に、茅葺造りの珍しいお堂「酒樽大黒天」があります。日に3合飲んでも、裕に30年飲めるくらいの酒が入るという大きさのもので、大正時代に造られた酒樽です。昭和40年代に茶室として造り替え、その隅に大黒天を祀っていたところ、招福のご利益があると信仰が集まるようになり、名刺を貼り付けて祈願する人が耐えないころから、酒樽大黒天として祀られるものです。
なんでもお金が倍になるそうで、参拝者の名刺がたくさん貼り付けられていました。
秩父札所めぐり 甲午歳総開帳・その5
その昔、ある晩住僧の円比丘が月に見入っていると、突然老婆が現れ「私はあまりにも欲が深かったため、死んでも救われず苦しんでいる。私の子孫に菩提を弔うようにいってもらいたい。また、この寺へ霊験あらたかな観音様を導くから、その観音様に私の冥福を祈って欲しい。」と懇願して姿を消してしまいます。そこで円比丘は子孫に老婆を弔うよう告げ、自らもその霊を供養します。やがて老婆のいう通りに千手観世音が到来し、ご本尊として奉安することができたといいます。

『 西光寺 誓いを人に 尋ぬれば ついの住家は 西とこそ聞け 』

寺庭内に見られる石灯籠は有章院(7代将軍・徳川家継)/ 増上寺


17番 実正山 定林寺(曹洞宗)

長享2年(1488年)の古番付では、札所1番だった定林寺。
創建当時は秩父神社近くにあったため、妙見宮をお参りしてから札所めぐりを始めたそうです。別称を「林寺」といい、平将門の子孫である壬生良門の忠臣・林太郎定元の墓があるところから林家の持寺として開創されたお寺です。
境内に見られる石灯籠は惇信院(9代将軍・徳川家重)/増上寺

その昔、東国の方に我が儘な殿様が住んでいました。ある日、家来である林太郎定元が苦言を述べたことに腹を立て、殿様は定元を追放してしまいます。その後、定元とその妻は相次いで病死し、取り残された子供はお寺に引き取られます。ある時、殿様が定元の子供に会い深く反省し、その子供を林源太郎良元と名づけ、領地を授け御堂を建てて定林寺としたという縁起が残ります。

『あらましを 思ひ定めし 林寺 かねききあへづ ゆめぞさめける』
秩父札所めぐり 甲午歳総開帳・その5
本堂は江戸末期の建立(お寺にあった手書き表示に、1844年、弘化4年、今から170年前と説明されているのですが、年が合わないのです。。。)四間四面の簡素ながら均整の取れた宝形造り、吹放しの回廊が巡らされてています。
内陣にも、古風な阿弥陀堂のように念仏巡廊が回っています。

本尊は、高さ55cm寄木造りの十一面観世音菩薩の立像
願主武州国郡法印元暁の銘があり、「文禄二年葵丑三月二十三日開眼」の墨書があります。
梵鐘は、日本百番観音霊場の本尊と御詠歌を鋳し出した珍しいもので、昭和39年に埼玉県指定の文化財になっています。
「お参り前に撞いて」の断り書きがあります。お寺を出るときに撞くと「出がね」となり、お金が出ていってしまうのだそうです。


境内隅に諏訪神社と蚕影神社が祀られています。 
戦前、秩父地方で養蚕が盛んだった時代と、神仏習合時代の名残りを感じます。

御朱印を待つ間、寺院には不似合いなアニメの絵馬やポスターがみられました。後で調べてみると、 アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の舞台の一つになっていたことが分かり、ちょっと驚きでした。


18番 白道山 神門寺(曹洞宗)
R140に面してあるお寺。丁度スピードの出る辺りで、向かった方向からは目印看板が見難く、一旦通過してしまいました。

元は神戸山長生寺といい、札所14番の今宮坊に属していた修行寺でした。円通伝によると、六間四面のお堂とあり、大いに繁栄していた様子が伺えますが、江戸中期の寛永年間に焼失し、観音堂のみが再建されています。

本堂正面軒下には、江戸末期に彫刻や書画の道で活躍した、秩父の生んだ芸術家・森玄黄斎揮毫による御詠歌の扁額が掲げられています。

三間四面、小ぶりながら整った風格ある現在のお堂は天保時代のもので、当時この地方の名匠である藤田家の末孫・藤田若狭の手によるもの。向拝彫刻も見事なのですが、懸魚に見られる蓑亀に心奪われました。御朱印にも亀
秩父札所めぐり 甲午歳総開帳・その5
本尊は室町時代の作と伝わる、像高1mにもなる聖観世音菩薩の立像。両手にしっかりと蓮茎を持つ珍しい姿です。
本堂周囲には縁勾欄が廻らされ、また裏手には入り口入って数段下りた回廊が設けられていて、本尊の下を通りながら、大日如来、千手菩薩、文殊菩薩、虚空蔵菩薩などが安置されているのを拝めます。

秩父札所めぐり 甲午歳総開帳・その5
その昔、ここは神社で大きな榊があり、その枝が左右に分かれ空に伸び結びあい楼門のようだったので「神門」と呼ばれるようになったそうです。年を経て木は枯れ、神社も廃れてしまう様子を見た里人は、これを再建しようと神様に伺うと、不思議にも巫女を通じて「寺にしなさい」というお告げを受け、お堂を建て大悲観世音を安置し、国家安泰を祈って永久霊場にしたという縁起があります。

本堂右手に火災鎮護の不動尊、左手には十二支守り本尊の祀られた蓮華堂があります。
さらにその奥には、拝む人まで笑顔にしてくれるニコニコ地蔵尊の姿も。。。
秩父札所めぐり 甲午歳総開帳・その5
『ただたのめ 六則ともに 大慈をば 神門に立ちて たすけたまえる』

蓮華堂隣には、参拝者が自由に休憩出来る屋根付き小屋が設けられています。ちび子と同じくらいの男の子と、その母親がここで軽い昼食をとっていました。見れば親子は笈摺を纏った姿。もちろん徒歩での巡礼旅のようです。
我が家といったら、滅多に来れない土地なので、この時とばかりに秩父グルメ旅も兼ねて。。。ちょっと罪悪感を覚えました。お昼はもう少し先延ばしです。

※馬は観音様の眷属(けんぞく=神の使者)であることから、2014年は日本百番観音秩父34ヶ所観音霊場の総開帳の年にあたり、3月1日~11月18日まで、通常秘仏としてある観音様のお姿が拝めます。札所開基が文暦元年(1235年)この年の干支が今年と同じく甲午で、開基から13回目の甲午年となり、60年に1度の特別な開帳年です。
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Posted by そふぃあ
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