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秩父札所めぐり 甲午歳総開帳・その2

2014年11月12日
秩父札所甲午総開帳
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----- Sunday, October 19, 2014 ----------
今年6月始め、天然氷のため初めて訪れた秩父の地。
そこで、今年行われている「総開帳」に遭遇し、少しだけ齧りかけのままだったこと、僅かに巡った寺院に感銘を受けたこともあり、気候も良くなったので再びお邪魔し、本格的に札所巡りをしてみることにしました。

前回は1番、3番、4番札所の3箇所にお邪魔しています。
今回は、山頂にあることから前回スキップした2番札所からのスタートです。

2番 大棚山 真福寺(曹洞宗)
1番札所から山を登って来た大棚集落にその寺院はあります。
その昔は観音堂、本堂、礼堂、仁王門、羅漢堂、稲荷神社、諏訪神社などがあったそうで、その盛観さが偲ばれますが、火災によって焼失し、一部は取り壊され、現在のお堂に転用されているそうです。

本堂への登り口右側に、新しい大棚救世観音がみられます。


本堂前の石灯籠は有章院(7代将軍・徳川家継)/ 増上寺
小ぶりなお堂ながら、向拝の彫刻が見事でした。


桃山時代の逸品との蟇股の龍は、武陽彫工・後藤立斎正道の銘が刻まれています。

御本尊は、室町時代の作とされる聖観世音立像一本造り(高さ約55cm)
その昔、知行兼備の大棚禅師が、この地の岩窟に安置する観音像に向かって度々拝んでいる老婆と出会い、その理由を問うてみると「自分はこの里の農家の妻で、嫉妬心が強く、強欲鬼畜の身を観音様にすがって逃れたいので詣でている。本尊を祈り広く信仰を得ながら、私と同じ悩み人も救われるでしょう。」と答えるので、禅師は最もな事だと大棚の地に本尊を安置しようと答えました。喜んだ老婆は、持っていた竹杖を禅師に渡すと「これは人間のものにあらず、これをもって今日の布施とす。」と言い残すと、松風吹き風の如く老婆は消えてしまったそうです。 
その後、禅師はこの霊験を本尊に祈り一宇の堂を建てたという縁起があります。
『廻り来て 願いをかけし 大棚の 誓も深き 谷川の水 』


お堂が山頂にあるため、ここには堂守が存在せず、納経などは麓の光明寺で行っています。


5番 小川山 語歌堂(臨済宗南禅寺派)
平地の中にある朱塗りの仁王門が印象的な5番札所。

その裏側に安置されていたちょっとユーモラスは表情の像は、オリオン似の風神と息子によく似た雷神でした。

祀られている御本尊は、慈覚大師の作と伝わる准胝観世音

別当寺である長興寺の本間孫八が、准胝観世音を安置するため建立したものです。

『父母の めぐみもふかき 語歌の堂 大慈大悲の 誓いたのもし』


本間孫八は富貴でしたが、和歌の道に暗いことを憂いて、この観音堂にこもり歌道を学び祈念しました。 
ある夜、一人の旅僧が現れ、孫八と徹夜で歌道の奥義を談じあいますが、後にそれは旅人に化身した聖徳太子だったことがわかり、このお堂を語歌堂と名付けます。

納経所は、数百m離れたところにある長興寺になります。


6番 向陽山 卜雲寺萩野堂)(曹洞宗)
石灯籠は文昭院(6代将軍・徳川家宣)/ 増上寺

ブドウ畑に沿って参道を登りきると、境内からは秩父のシンボルである武甲山が一望できます。
お寺の御本尊は、山岳宗教時代の流れをくむ蔵王権現社の本尊として長く武甲山の山頂にあり、その後山岳宗教の推移とともに萩野堂に移され、長享年間(1487年頃)の札所再編によりト雲寺管理となっています。ト雲寺という珍しい寺名は、この寺の開基とされる嶋田与左衛門の法号が「卜運源心庵主」である事に由来されます。
御本尊の聖観音菩薩は1尺2寸3分(43.3cm)の立像で、行基菩薩作と伝えられているものです。

『初秋に 風ふきむすぶ 萩の堂 宿坂の世の 夢ぞさめける』





7番 青苔山 法長寺(牛伏堂)(曹洞宗)
観音堂は別名を牛伏堂ともいいます。牛伏堂はもとは根古屋(牛伏)にありましたが、江戸期の札所再編の折、法長寺に移されています。本堂は平賀源内の原図によって建てられたと伝えたれ、間口十間、奥行き九間、瓦葺入母屋造りで札所一の大加羅です。堂内土間の上に四国志度寺の縁起が彫刻され左右に座敷書院を配し、内陣のまわりには極彩色の彫刻欄間、格天井には花鳥が画かれています。観音堂は別棟にありましたが、天明2年(1782年)焼失。以来、堂内に観音像が安置されています。

御本尊は、江戸時代作の十一面観音菩薩
本堂前の石灯籠2基は文昭院(6代将軍・徳川家宣)/ 増上寺


お寺入り口に恵比寿様と、境内に見られる「牛伏の石像」
昔、行基が自ら刻んだという十一面観音を背負いこの地を行脚中、急に観音像が重くなったので、仕方なく置いていくことにしました。後に、地元の牧童が草刈りをしていると一頭の牛が現れ、座って動かなくなったので調べてみると、草の中に観音像が見つかり、村人たちと共に堂宇を建て像を安置した事に由来し「牛伏堂」と名づけたという話。
また、平将門との戦いに敗れた武士が亡くなり、残された妻が供養のため訪れると、その夜の夢に夫が現れ「将門にくみした報いで、この村の某家の子牛に生まれ変わって苦しんでいる。」と言うので、妻は出家して観音に祈り供養したという話も残っています。

『六道を かねてめぐりて おがむべし またのちの世を きくも牛伏』
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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