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微笑仏@中島家

2014年06月12日
微笑仏
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----- Sunday, May 25, 2014 ----------

三国街道の宿場町として栄えた塩沢。
江戸の時代にタイムスリップしたような牧之通りには、雪国ならではの「雁木」と「切妻屋根」の続く、独特な街並みの様子が見られます。
その中の一軒である大野屋さんは、景勝公が越後に残した家。。。と、観光案内看板にあったのですが、調べてみても、他に関連記載が見つからなくて。。。
歴史に関係したお宅が見られるのも、この通りならではかも知れません。

さて、今回お邪魔したのは、個人宅である中島家。
前回の木喰仏の記事を書くにあたり、県内に残された他仏についても少し調べたところ牧之通りにもあることを知り、いずれ魚沼方面に出掛けた際、時間があったら寄ってみようと思っていました。

しかし、こんなにも早くその機会が到来するとも思わず、その場所さえもうろ覚えの中での決行。しかも、個人宅なので予約なしではお邪魔出来ないかも。。。とも思ったのですが、牧之通り全体が観光地化したため、このお宅も観光案内所やお土産物販売のような役目となり、どんどん観光客がお宅の中に入っていく姿があり、その方々に混ざってお邪魔する事ができました。

その昔、宿場町として栄えた頃には豪商であったという中島屋さん。現在も、当時の面影を色濃く残し、お邪魔したお宅の中には至る所に高価なもの、珍しいものが惜しげもなく展示されて観光客の目を楽しませる場となっていました。

今では珍しくなった郷土玩具の犬張子や菓子器なども。。。
平成21年年2月、秋篠宮両殿下が牧之通りを見学された際、こちらのお宅も訪問されておられ、奥様が私たちにして下さったように、各置物の説明などされると、紀子様はいろいろと質問を返されたりされるのだそうですが、宮様は説明が終わると、一言だけ「そう!」と。
男子黙して多くを語らず。。。なのですね。

檀飾りのお人形の中には、お祖父様が子どもの頃、江戸の久月から三国街道を通りこの地にやって来たという、明治初期のお人形も飾られていました。

そして、このお人形たちに同化するように、今回このお宅にお邪魔した本来の目的である、木喰上人が刻まれた高さ40cm足らずの「明見菩薩さま」のお姿が!

文化2年(1805年)9月16日の作品。
木喰上人が米寿を迎えた地、十王堂に安置されていたものを、大正末期に中島家の先代が譲り受けたものというお話です。

木喰上人について

木喰上人は江戸時代後期の遊行僧。享保3年(1718年)甲斐国(現山梨県)丸畑の農家、伊藤六兵衛の次男として生まれます。14歳で江戸に出奔。様々な職業を経た後、22歳で仏門に入ります。
45歳になると、五穀(米・麦・粟・稗・黍)、塩、火を通した食物を断つ修業「木喰戒」を受け、56歳からの37年間は、「日本廻国」「千体仏像造」「衆生済度」の悲願をかかげ、廻国修行の旅に出て千体以上ともいわれる仏像を刻み、現在、全国で確認されているだけで約620体ともいわれています。60代半ば、85代半ばの2度に渡って県内を訪れていて、滞在期間もそれぞれ4年と長かったことから、そのうち4割に当たる約260体が県内に存在しています。
再訪した80代後半は上人円熟期にあたり、微笑仏の特徴がよく現れた傑作が多く30体を超える大群像が残っているのも、県内4か所のみだそうです。大正末期、民俗学者や民芸研究家によって広く世に出され「円空・木喰」と並び称され、高い評価を得るようになります。
文化7年(1810年)93歳で生涯を閉じますが、入寂の地は不明です。

北極星あるいは北斗七星を神格化した明見菩薩は、国土を守り、災いを除き、眼病を平穏するという仏で、木喰上人の生きた江戸時代には庶民に広く信仰されていたものだそうです。しかし、木喰上人が明見菩薩を刻んだものは、全国でもここしかないそうでとても貴重なもの。
越後から三国峠を越えて上州(群馬県)へ向かう途中の塩沢で刻んだもので木喰上人88歳の時の作品。まさに円熟期の頃の作品のひとつです。 手に宝珠を持ち、全ての悟りを包み込み大らかな笑みを湛えていらっしゃいました。

奥様が、「コブを撫でるとボケ封じにもなりますよ。」と仰るので、私も早速。。。
昔は庶民にお医者様がいなくて、明見さまを抱いて病気を治したという説もあり、「抱き仏」でもあるので抱かせていただきましたが、なかなかの重さがありました。

お宅の玄関付近の写真展示の中には振分親方(多分、現役の高見盛時代だと思うのですが)が抱っこしたものもありました。

しかし。。。ご縁の綱が2本あり、あれっ?と思って奥を覗くと、仏間にも明見さまが。。。
すかさず奥様、「現在、展示されているのはレプリカです。」って。
改めて、本物の明見さまの前でもしっかり拝んで来ました。
多くの人の手にさすられ、全体的に角の無い丸みを感じるお姿になった明見さまですが、特にコブや前頭の部分は、長年撫でられ続けてツルツルの状態でした。

さらに案内された奥の部屋。大きな屏風と共に、高級織物である「越後上布」が展示されていました。
越後は天然資源の金が採れ、上布の原料となる苧麻があったことで、謙信公の時代以前からの大きな財力、権力の元となったものです。

仏様を拝見し、お庭まで散策させていただきました。
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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