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雲洞庵

2013年12月02日
集 活
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----- Monday, November 4, 2013 ----------

天地人を巡る旅にはじまり、不思議なご縁でお墓まで探した宇佐美定満の導き(?)もあり、もう幾度と訪ねた、越後一の禅寺 雲洞庵。
雲洞庵

赤門に掲げられている 「雲洞庵の土踏んだか」 は、ここから本堂に至る石畳の下に、法華経を一石一字ずつしるして敷きつめてあり、昔、赤門は年に1度しか通れなかったこともあり、踏みしめてお参りすると罪業消滅、万福多幸の利益に預かると言い伝えがあり、そこからこの言葉が生まれたといいます。
雲洞庵

雪深い地方、この時すでに紅葉が始まっていました。中越震災で隆起した本堂前の石段は、修復されずそのままの姿で苔生していました。
雲洞庵

雲洞庵は、奈良時代、時の内大臣・藤原房前の母君がこの地に湧き出る霊泉で多くの人々を救い庵を結びました。その菩提を弔うため、藤原房前が養老元年(717年)に薬師如来を本尊とする金城山 雲洞庵を建立したのがその起源とされています。金城山という山号は、藤原房前が当地を訪れた際、朝日で金色に映える山が黄金の城に見えたことから名付けたと伝えられています。(坂戸山に登ると、背後に大きく見える1,000m越の山が金城山です。)以来、藤原家の尼僧院として庇護され、600年間に亘り栄えます。

それから700年後の宝永年間、関東管領・上杉憲実公が藤原末裔の因縁で庵をうけ、出雲崎の大工群により本堂の再建を行っています。
雲洞庵

喜平次(上杉景勝)と与六(直江兼続)は幼少のころ、ここで学問を学びました。
雲洞庵

大方丈にある絵は、北高全祝禅師に教えを受ける喜平次(景勝・10歳)と 与六 兼続・5歳)です。論語に「義」の精神を学び、その厳しい指導により、二人が生涯英雄として天下に名をとどろかせた基礎はここで培われました。
また、兼続の兜の前立ての「愛」という文字は、通天存達の教えからなると言われています。通天存達は長尾政景の兄で、景勝の伯父にあたる人でした。

雲洞庵

座禅堂内部と文殊菩薩
雲洞庵

禅寺で無の境地
雲洞庵

勝手知ったる他人の寺…で(^ω^;)  
雲洞庵

お寺で見る雨の紅葉は、また格別です。
雲洞庵

山号 金城山
宗派 曹洞宗
御本尊 釈迦牟尼仏

雲洞庵 御本尊 御朱印
雲洞庵
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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