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笹川邸(重要文化財)

2012年09月30日
歴史を訪ねて
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重要文化財 笹川邸

この住宅の所有者であった笹川家の初代当主は武田治右衛門源義勝で、川中島の戦い後、信濃国水内郡笹川村からこの味方の地に移住し、笹川と改姓したといわれています。昭和45年(1970年)にこの地を離れるまで、14代、300年以上にわたって続いた名家です。
大庄屋に任命されたのは慶安2年(1649年)、三代目の彦左衛門源信秀の時です。大庄屋制は徳川封建時代の制度で、主として戦国時代の郷士が任命され、代々 味方組8か村(味方、白根、坂井、木場、黒鳥、北場、亀貝、小新)の合計約8千石を束ねる大庄屋を務め、年貢を取りまとめ、藩から与えられた警察・裁判権を行使していました。その一方で、水害の多かったこの地域での新田開発に貢献してきました。

旧笹川家住宅は、中之口川と味方江に面し、近郷における用排水と水運の要地に位置しています。
周囲に水掘をめぐらせた広大な敷地内には、文政2年(1819年)の火災で全焼した後、旧村松町の小黒杢右衛門が棟梁となり、居室部は文政4年(1821年)、表座敷および台所は文政9年(1826年)に棟上したことが、棟札から分かっています。
日本でも有数の規模を持ち、近世後期の大庄屋の住宅は昭和29年(1954年)重要文化財の指定を受け、昭和45年(1970年)から一般公開されています。
前庭の眺望、威厳のある表座敷、高い木組み天井の広間、土庇と障子欄間、建ち並ぶ土蔵群など、いずれも雄大さと雪国らしさを兼ね備え、この地の発展を主導した豪農ぶりを、今に伝えています。

笹川邸屋敷図


雨になってしまった日曜日。豪農の館巡りで訪れたのは、結婚してすぐの頃にもお邪魔した事のある、新潟市(旧味方村)にある笹川邸。
天正年間(1573~1591)建築と推測される巽風門(表門)脇から続く水掘は、お屋敷をぐるっと巡り、現在道路になっている部分も、当時の掘の一部分であるとすると、かなり規模の大きな水掘だったと思われます。
笹川邸

巽風門から続く道。左側は玄関に向かう道で、藩主など身分の高い人用。その他は右側の道を通り屋敷の中へ。手前には井戸があり、足を洗う水などを汲んだのでしょう。
笹川邸

【土間】

入り口入ってすぐの土間です。梁を支える一尺一寸(33cm)角、長さ4.8mの草槙の柱が一列に3本並んでいます。その上には9.6mの棟木まで梁や桁や束が組まれています。平屋建てにして、長い柱を使うことは雪国の民家の特徴です。雪が積もっても、竈や流しの上にある高い窓から光をとり入れられる構造になっています。
笹川邸

【長屋(下男部屋)】

土間の中ほどにある下男が使った5畳程度の部屋。下男が2~3人。手伝い小作人5~7人。
笹川邸

【囲炉裏の間】

本来なら、土間から寄付に上がるのですが、土間奥にある囲炉裏が気になり、先に覗きに来ました。寄付の間との境が障子になっているので、手元を照らす明かりが入ってくるようになっています。
展示されているパネルは、『水と土の芸術祭2012』で開催中の石川直樹展『異人 the stranger』のもの。国の重要文化財は、若手写真家の作品を見られる場にもなっていました。
笹川邸

靴を脱いで入り口からお邪魔し、「表座敷」と呼ばれる部分から見学です。表座敷及び土間は、文政9年(1826年)建築です。

【寄付・寄付の間】

土間入り口付近まで戻り、順路のとおりに寄付へ。親戚・知人・庄屋が出入りに利用したのが寄付。小前百姓は土間入り口から出入りしたそうです。
笹川邸

【大広間】

28畳にもなる大広間は、味方組8か村の庄屋たちの集まりに使用されていました。
笹川邸

【玄関】

大広間に続く三の間の前には、村上藩主が出入りに使用した玄関があります。玄関と三の間の間には長い畳廊下が続いていて、次の間、上段の間の縁まで巡っています。
笹川邸

【三の間(玄関の間)】

村上藩主来訪の時、休憩用として使用した部屋。大広間を通して開放。
正面には2尺2寸(4.2m)の大床があり、床の間と床の間の張付壁には「卍くずれ模様」が描かれています。「米」という文字を図案化したもので、青の色合いも鮮やかで印象的です。次の間との境は柱から柱まで通しの筬(おさ)欄間となっていて、部屋間に繋がりを持たせ、梁から吊り下げる荷重を減らす役割をしています。釘隠しには三つ巴の金具が使用されています。
笹川邸

【ニの間(次の間)】

村上藩主来訪の際、対面にも使用された部屋。
笹川邸

【上段の間】

殿様、代官、僧侶の御座所。床、棚、付書院を備えた書院造の座敷です。床の間の前の畳は長く、縁が床柱に合っています。これは、藩主が中央に座った時、畳の縁を踏まないようにするためです。建具や床框には、黒漆が塗られています。上段の間の釘隠しには「二羽鶴」が使われ、襖も同様の模様で統一感がありました。
笹川邸

上段の間と次の間の庭側は、南側も東側も「卍くずれ模様」の欄間が通しで入れられています。庭からの光が欄間越しに細かく差し込みます。また、長い畳、幅の広い襖と障子、大きな瓢箪模様の欄間が使われているのが特徴的で、太い柱や広い部屋に調和した建具となっています。
笹川邸

【庭園】

次の間から“ひょうたん池”を望むお庭の眺め。
上段の間の前には、室町時代の作と伝わる石燈籠が見られます。玄関から続く畳廊下の庭側には、雪国らしい工夫のひとつである土縁、土庇の様子が見られます。土庇は雪囲いを土庇の柱に並べて取り付けることで雪から障子を守り、土縁は屋外の通路として保たれます。また、土庇は庭の照り返しを軒裏で反射させ、欄間越しに部屋の奥まで光を導きます。土庇の桁には長さ10間(約18m)の一本杉の丸太が使用されています。
笹川邸

上便所は質素で、木で出来ていました。上湯殿は、領主が使用。浴槽は無く、浴室外部の潜戸からお湯を運ぶ様式で、床板は中央部が凹型となって張られていました。
笹川邸

東廊下の様子
笹川邸

左手には居住部が見えて来ましたが、表座敷の部屋は、右手にもう2部屋残っています。

【家老の間】

三の間の床の間の向こうに位置する家老の間は、従臣控えの部屋。
笹川邸

【御用帳場】

年貢及び日常帳付けの部屋。この部屋は大広間の隣に位置し、広間で行われる庄屋たちの会合のための事務室の役割を果たしていました。居室部への廊下と、家老の間から上湯殿に至る廊下の両方に面し、裏方の要の位置にあります。
帳箪笥には、証文などの重要書類が入っていました。また、火事の際に持ち出せるよう、紐を通す輪と車輪がついています。
笹川邸

御用帳場のランプシェードはレトロな雰囲気で、得に可愛らしかったです。同じ部屋にあるもので不思議に思ったのは写真右部なのですが…紐の下に各部屋の名称があることから、電気のスイッチなのかな?
笹川邸

通って来た廊下。突き当たりには囲炉裏の間
笹川邸

六尺棒をはじめ、壁には護身用具が揃っていました。
笹川邸

見所いっぱいの表座敷の見学を終え、居住部へ向かう渡り廊下を進みます。つづく。
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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