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市島邸にて

2012年06月20日
歴史を訪ねて
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市島家は、丹波(兵庫県)の出身です。慶長3年(1598年) 開祖である治兵衛氏が、溝口侯の新発田移封に伴い加賀大聖寺より随従して以来、次第に栄華を極めます。
市原宗家は居住の場を五十公野(新発田市)と水原(阿賀野市)に移しますが、水原時代は福島潟の干拓を中心に蒲原平野の開発に努め、北陸有数の千町歩余りを有する大地主、豪農へと発展します。その後、戊辰の役により水原の邸宅は兵火により焼失したため徳次郎氏は現在の場所(新発田市天王)に新たに邸宅を構えます。
所有の田畑は、約1,830町歩(18,148,760.3㎡)。1924年(大正13年)の農林水産省の地主調査では、県下1位だったそうで、その他にも山林3,000町歩(29,752,066.1㎡)、 小作人2,600人、米の売上約2,000t と、その桁外れな数字からも、飛び抜けた豪農ぶりが伺えます。

そんな豪農が1876年(明治9年)に建設した邸宅は、敷地八千坪余、建坪六千坪余に及び、建物の大半は明治初期の代表的な住宅建築となっています。これらを囲むようにある回遊式の庭園は自然の趣があり、四季を通じて楽しる空間です。1962年(昭和37年)3月に表門、玄関、湖月亭閣、南山亭、松籟庵、説教所など12棟1構が県の文化財に指定されています。
市島邸・その2


昨年の、まだ暑かった頃に訪れた水原代官所。代官所内にあった御学問所である “温故堂” が衰退していった時代、大地主の市島家などから資金を募り、温故堂を再建したという話があり。また、県政発祥の地 “越後府” に行った際も、もともとは市島家の敷地を使用していた。。。 という事を学び、大地主が新たに建てたという豪邸も、いつか見学に行ってみたと機会を待っていました。(我が県では豪農の館の類は、冬期休館になる場所も多いもので。)

駐車場から続く長い塀を見ながら行くと、塀が切れて入り口が。。。塀の中には、次に通るはずの表門が見えますが、食い違いで造られていますね。
市島邸にて

≪正面表門≫(県指定文化財)総欅材破風造の四脚門。明治40年に銅板棧葺に改装されています。
市島邸にて

お金持ちのお宅に錦鯉はつきもの。。。(自由に餌があげられます)門番所で料金を払い入場者はここから中へ!
市島邸にて

入ってすぐ、真正面に見える野点傘に長椅子でテンションは一気にアップ!
市島邸にて

先ほども見えた ≪玄関≫(県指定文化財)入母屋造り銅板葺き、式台腰板には欅材を用いた建築です。表門と同じように特別な客人のみを通したという場所なので、私たちは順路に従い、表門の向こうにみえる小さな門を潜って先へと進みます。
市島邸にて

≪前土蔵≫
市島邸にて

市島家大地主時代、大台所で使用されたという大水瓶や、お正月用の餅をついた臼などが展示されていました。使用人が50人余もいたそうで、もち米にして5俵あまりを、朝の3時からつき始めたそうです。
市島邸にて

土蔵を過ぎ、橋を渡って。今は水が枯れていますが、表門前からここにも水が流れていた時代もあったのでしょうね。
市島邸にて

現在は資料館になっている ≪旧米蔵≫
明治中期に建設された旧米蔵で、地名からとり“天王蔵”と呼ばれ、米三千俵の保管が出来ました。市島家は、このような米蔵をこの地に大小20ヶ所程度所有していたそうです。
『湖月亭』と名付けられたこの資料館(旧米蔵)入ってすぐの展示の中に、下田出身の漢学王である 諸橋徹次博士の書が見られました。市島家とはどういうご縁なのかと不思議に思いましたが、『市島塾』の初代塾長が博士だったのだそうです。
市島邸にて

衆議院議員を3期務め、また、早稲田大学の初代図書館長だったという市島謙吉氏の銅像の前を通り、いよいよ豪農の邸宅内へとお邪魔します。
市島邸にて

お屋敷の地図と共に、明治時代の建築様式をお楽しみ下さい。
市島邸・その2

≪渡り廊下≫(県指定文化財) 入ってすぐにある本座敷と母屋を繋ぐ通路は、八十三間(150m)もある渡り廊下です。雪国新潟にあってこういう造りは珍しいものだそうです。
市島邸にて

廊下の途中からは、庭園や次に向かうお茶室(水月庵)が見えます。
市島邸にて

新座敷を過ぎてすぐ細い廊下を渡るとお茶室に至ります。
市島邸にて

≪水月庵≫(県指定文化財)池水に架したお茶室で、自然の風が通りとても心地よい空間でした。六畳と四畳半二間の数寄屋で、紫野大徳寺大綱和尚の水月の歌に因み水月庵と呼びます。
市島邸にて

明治9年、十世四代静月翁の造営。当主が風月を楽しみ、時に賓客の接待に使用したところです。
市島邸にて

≪玄関の間≫  最初に外から拝見した玄関ですが、中に入ってみるとそこには勝海舟の書が惜しげもなく飾られていたりします。そして、珍しいと思ったのは床。木の皮がふんだんに使用されている住宅でしたので、最初、鞣した木の皮を繋ぎ合わせたものかと思いましたが、柿渋塗りの和紙が敷かれていたのだそうです。
市島邸にて

≪図書室≫ 往年には図書室として利用されていた部屋で、現在は書斎となっています。蔵書類も多く、その一部が展示されています。調度品の数々から、和洋折衷な明治時代の大好きな雰囲気が伝わってきます。
市島邸にて

椅子の上の部分、木や紙のような質感に見えます。
市島邸にて

貴重な絨毯の上。。。歩くのが勿体ない!
市島邸にて

図書室の隣は ≪帳場≫ 大勢の人が出入りし、働いていた時代が見えてきそうです。
市島邸にて

市島邸にて

市島邸にて

市島邸にて

こちらの部屋には、市島邸の奥土蔵に長年保管されていた“乾板写真”が展示されていました。およそ110点の写真が、地元写真屋さんの協力により現像されたとのこと。ちびが 「白黒の古い写真ばっかり!」 って言っていましたが、明治の半ばから乾板が輸入されるようになりますが、当時写真を扱う事は、とても贅沢な時代だったでしょう。中には、女性だけで写された写真もあり、日本髪に着物のスタイルからも、明治から大正にかけての、少し遠くなった時代を感じる事が出来ます。
市島邸にて

この長持は、旧作州津山藩(岡山県津山市)藩主子爵・松平康民公の姫・隆子様が12世9代当主の市島徳厚氏にお輿入れの時持参したもののうちの一棹だそうです。(もう1棹は蔵に眠っていました。)
市島邸にて

小部屋と廊下が続くこの辺りは、使用人が中心となって使っていた部屋なのかも知れません。
市島邸にて

迷子にならないよう(!?)入り口で館内地図を渡され、それをもとに順路を歩きますが、部屋数も多いし、果てしない感じの広さで、今、何処にいるのか。。。やはり迷子になりそうです。(~_~;)
順路からちょっと外れるとゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ
向こうに離れのお屋敷が見えてきましたので、あともう少しでしょう。
市島邸にて

広大なお屋敷のため、ここで一旦記事UPします。南山亭へとつづく。。。
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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