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安田城址(阿賀野市)

2012年06月18日
城址巡り
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安田城址(県指定文化財・昭和48年3月28日指定)

中世の安田周辺は「白河庄」と呼ばれる荘園で、摂関家の領地でした。鎌倉幕府が創設されると、この地に伊豆の大見家秀の一族である関東御家人 大見氏が地頭職として着任し、のちに地名の安田氏を名乗ります。
この城は、大見安田氏の居城となります。大見安田氏は、南北朝の動乱、室町時代の守護上杉氏と守護代長尾氏との抗争などを経て北越地方有数の国人領主となります。上杉謙信、上杉景勝の2代に仕え、慶長3年(1598年)安田氏が上杉氏に従って会津に移ると、村上藩の村上頼勝の重臣・吉竹右近が在番しました。元和4年(1618年)村上氏改易により 堀直竒の支配となりますが、一国一城令により、同8年(1622年)破却されます。
寛永16年(1639年)藩主である堀直竒の次男・堀直時(のちの直重)が三万石を分与され安田藩が創設されますが、正保元年(1644年)子の堀直吉が領地替えで村松に居を構え、安田藩は終わりとなります。
安田城址

“保田の三度栗” でお馴染みの、阿賀野市安田の考順寺に程近い場所にある「安田城址」にお邪魔しました。
現在の城址は実城部分には交通公園が、それを取り囲む二の郭部分は運動施設や公共施設へと姿を変えていますが、一部に当時の面影を見ることが出来ます。
安田城址

地図に振った番号と照らし合わせご覧下さい。

案内図(1)部分(西側入り口)からお邪魔すると、実城への入り口からは、当時の内堀の名残りを感じる事が出来ます。
安田城址

本丸部分は、交通公園となってしまっているため、面影は全く無くなってしまっていますが、さらに奥の児童公園付近まで行くと、(3)からは、実城東側の内堀を望めます。
安田城址

実城内、現在は憩いの広場となっている部分(4)には、土塁が残されていました。
当時は、実城周囲にこれと同じような土塁が巡らされていたと思われますが、現在はこの部分に僅かに残されているだけです。
安田城址

下りる道もあるので(下写真中)下りてみると、西側通路(1)を監視できるような小郭も残されていました。(下写真右)
安田城址

(5)より撮影。実城と東側二の郭を隔てる内堀の向こう側は、現在ゲートボール場になっています。ゲートボール場と道路の間には、外堀跡も確認出来ました。(写真右)
安田城址

城の東側を流れる新江用水路は当時の外堀を利用して出来たものか?城域を削って造られたものなのか?は不明です。
安田城址

(6)から(5)方面に向かって、二の郭内から実城への道の様子。
安田城址

ゲートボール場の脇を抜け、南側二の郭方面へ。(7)よりパノラマ撮影。
安田城址

憩いの森となっている南側二の郭は、当時の面影が残された場所となっています。
安田城址

(8)付近からは、現在も水を湛える外堀の様子が望め(下写真左)土塁壁も確認出来ます。(下写真中)
安田城址

(9)より撮影。コミュニティーセンターよりの土地は、すっかり削平され、面影が無くなっています。
安田城址

(10)より撮影。左奥が(1)部分。中央に見えるのが実城部。
安田城址

コミュニティーセンター城のうちの脇にも、外堀の名残りが確認出来ます。(11)
安田城址
二の郭に出て実城部分を見ると、18mというほんの僅かな高低差ではありますが、こんもりと少し高さがある様子も感じられます。

コミュニティーセンター、その脇にあるテニスコート。最初に通った通路を隔て至る北側にある野球場も、全て名称に「城のうち」とあり、当時の二の郭であったことが伺えます。
安田城址

北側、野球場と実城の間に残された内堀。(13)
安田城は、二重堀を巡らせた典型的な平城です。実城域は、安田氏当時からの城域なのではないかと思われ、のちの堀氏時代に二の郭の整備がされたのではないでしょうか。
安田城址

それにしても、上杉景勝が越後を去ったあと、何処に行っても堀直竒の名を目にしますね。僅かな面影の中にも城の大きさははっきりと伺え、久々の城址巡りは、サラッと楽しかったです。

訪城日:2012年5月20日(日)
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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