attention admin about comments trackbacks you may also like

砥石城・水の手を探せ編

2012年03月10日
城址巡り
-
砥石城で、是非見ておきたかったのが “水の手”
水の手は本城域にあるはずなので、桝形城から本城まで戻り、大手道より探さなくてはなりません。
砥石城・水の手を探せ編

行きには気づかなかったのですが、桝形城、本城間の尾根道の途中に来た道とは別の道を見つけました。
その道が何処に出るのか不明だったため、旦那とちびは来た道を、私は単独で見つけた道を進む事にしました。


旦那たちと別れ、道を僅かに下っただけなのに、この高低差は見事です。切岸の高さが迫って来ます。横矢掛けられたら一溜りも無い場所ですね。1本道を下って行くと間もなく、この下り道は大手道に到着しました。


大真面目に本城まで戻り、さらにそこから大手道で来た旦那とちび。。。かなりのロスタイムになりました。

私が通った道は、大手道で登って来た際の桝形城への近道であったようです。

旦那、ちびと合流し、水の手を探しながら大手道を下って行きます。


時間にして4分も歩くと、道が細くなり、まるで竪堀のように見える場所があります。
もともと、本城の東南側は谷間の地形で、この周辺は水音もしたので、自然の地形なのかも知れません。
この重機のタイヤ跡。。。砥石城で崩れた箇所の修理をするための重機のものですが、これが、後々までの曲者であるとは。。。(~_~;)
砥石城・水の手を探せ編

竪堀状の場所を過ぎ、角を曲がって進むと道は2手に分かれます。


下に向かう道を選択し、さらに進むと土塁状のものが見え


土塁の裏側にも、クルッと道が繋がっていました。


土塁後ろまで回り込んでみると大きな看板があり、見てみると「旧・松代街道」との表示が。また別の歴史なわけですが、この地図で見る限り、すでに目的の場所からは大きく外れ、水の手を見逃してここまで来た事になりますね。(>_<)
砥石城・水の手を探せ編

ここまでの道のりで、すでに1時間半以上もの間、殆ど休憩なしで山道を歩き、水の手があるものと信じ、今回はかなり山の下まで降りて来てしまいました。水の手への案内板は無かったし。。。何処なんだろ?山道もアスファルトの道になり、麓が近い事は一目瞭然です。
下りて来た道の左手に広がる削平地を見ながら、麓近くに築かれた根小屋域ではないかと思って歩いていると。。。


案の定「内小屋」との案内を見つけました。内小屋はかなり麓の反対側にあるので、この日は見るつもりも無かったのにな。

このまま道を進むと、大手道の行き着く先。。。陽泰寺まで行ってしまうので、あまり下までは行かず、まだ行っていない場所を上を目指す事にしました。

内小屋の敷地の上に神社が見えるので、そちらへ登って行く途中の場所から見た内小屋の様子。遅れて来る旦那とちびから広さを想像してみて下さい。かなり広いです。


内小屋域(写真右の耕作地)から神社に向かって上がって来ると、天然の外堀の役目をした神川が見えます。水の手を意識していたので下から聞こえる水音が気になっていましたが、その正体は神川でした。


登りきった先には、砥石城内で2カ所目となる「関東の富士見100景」が。


砥石城本郭からも見えませんでしたし、当然ここからもその雄姿は確認出来ず。


さらに上に位置する神社付近からは、余程の物好きでないと立ち入らないようで、随分と藪化していました。

神社で「水の手が見つかりますように」と祈願し、獣道を登って行くと、なんと。。。旧・松代街道の土塁付近に出てしまいました。
ここで完全に水の手がこの周辺ではない事を悟り(遅っ!)
内小屋へ至る途中で見つけた『大手道』の案内板から、再び本城へと登りながら探してみる事にしました。

大手道は九十九折りになった昔ながらの細い急坂の山道。


途中、木戸口のような構造も見られました。

そして、随分と山頂が近くなって来た頃、先ほども通った大手道へと出ます。
その場所には、大手道がここから分岐している案内板も無いので、何も知らずに前に前に進むと、先ほどのように旧松代街道へと続く道を選択してしまうようです。
工事のための重機が通った時にでも、大手道の案内板がなぎ倒されてた?!しかも、出て来た大手道は先ほども通過した場所という事は、水の手も知らないうちに通過してるわけで、ここから手掛かりもないままどうやって探そう?
過去の山城散策の経験からも、この大手道で怪しい場所は1ヵ所。水音がし、竪堀に見えた谷間の部分。。。水音のした場所に至る道の途中には小さな削平地が無数にあったので、水の手は、その郭の中の何処かに存在するのでは?と。
旦那と2手に別れ、下りられそうな郭をくまなく探し始めると。。。
旦那が先に発見してくれました。 ヽ(*´∀`)ノ

今も水を湛えた小さなこのため池が、苦労して探した水の手です。
砥石城・水の手を探せ編

江戸時代の砥石城の古地図の中にも“水の手”と記載されていて、村上氏、真田氏も使ったものです。
特に天文19年(155年)村上義清が武田信玄に攻め込まれた際、水の手から水が汲めなくなり、落城寸前に追い込まれますが、米蔵の米を水に見立て馬の背に流すという作戦で、信玄を敗北へと追い込んだわけで、この池の水が汲めなかったという逆境があったからこそ、砥石崩れが成り立った。。。そんな歴史的なため池でもあるわけですよね。

砥石崩れの翌年には、武田の支配下だった真田幸隆にあっさりと敗戦してしまい、この城は奪われてしまいます。さらに数年後の天文22年(1553年)村上氏は支えきれなくなった葛尾城をも捨て越後へ逃れ、長尾氏と縁戚である高梨氏を通して景虎(上杉謙信)に支援を願います。これが発端となり、5回にも及ぶ武田信玄と上杉謙信の壮絶な川中島の合戦が繰り広げられる事になるわけです。

城山に入って丸2時間の散策となり、武田信玄同様、私たちもこの水のには随分と泣かされましたが、お蔭で見る予定で無かった内小屋や、大手道まで登ることが出来、終わってみればすべて見られた満足感でいっぱいの山城でした。

登城日: 2011年10月9日(日)
関連する記事
そふぃあ
Posted by そふぃあ
最後までお読みいただきありがとうございます。
※撮影した写真の著作権は放棄しておりません
画像のお持ち帰りは固くお断りしております※