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砥石城・米山城址編

2012年02月20日
城址巡り
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天文17年(1548年)の上田原合戦において、村上義清に敗れた武田信玄は、その後体制を立て直し、再び村上氏に矛先を向けました。
天文19年(1550年)9月、村上方の重要拠点である この砥石城を攻めます。ここを攻めれば、地蔵峠(上田市と長野市の境)を越え、村上氏の本拠地(坂城町)の背後へ迫る事ができるため、信玄は激しく攻めたてました。しかし、村上方の抵抗は激しく、城攻めを諦めた信玄が軍を退却させたところを村上方は見逃さず追撃し、武田軍を破りました。この武田の敗戦は “砥石崩れ” として、現在にまで語り継がれています。
この城は、東太郎山の一支脈が神川に沿って南方に突き出している高い尾根に構築され、本城を中心に、北に桝形城、南に砥石城、西南に米山城を配した連郭式山城で、総称して砥石城と呼びます。
村上・真田の両氏が戦略上重要視し、重要な役割を持たせた城で、規模が大きく、4要害を1体として構築し、しかも居館としても用いられた特色ある史跡です。
砥石城・水の手を探せ編

昨年の10月9日、ブログ友達のベル父さん、きゅんさんの応援のため松本まで出掛けた私たち。
大会観戦をし、出番が終わったところで早々に会場を後にし、途中のコンビニでお昼を購入し、それを齧りながら向かった先は。。。やっぱり山城でした。(~_~;)
2010年12月、真田の本城を見学した日、この砥石城の麓まで来たにも関わらず
すでに時刻は4時で、真冬のこの日はタイムアップ。昨年の親鸞聖人を訪ねる旅で、偶然にも村上義清の建てたお墓を見つけた事もあり、帰路の途中、無理やり上田に寄ったというわけです。

4要害合わせて砥石城と呼ばれていますが、今回はその中の米山城までのお話です。
駐車場付近にあった注意書き。どんなに標高の低い山であっても、決してなめてかかったりしませんよ!山は怖いですからね。
砥石城 米山城址編

それに、駐車場から舗装道ではあるものの、いきなりかなりの急勾配ですし。
砥石城 米山城址編

この道の角を曲がると櫓門が出現!
砥石城 米山城址編

櫓の上に上がって、周囲の景色を楽しめます。
砥石城 米山城址編

櫓門を抜けると、砥石城址が真正面に見えます。いざ、登城!
砥石城 米山城址編

道は次第に山城らしくなって行きます。
砥石城 米山城址編

入口の坂道から10分も登ると、米山城と砥石城への分岐点に出ます。米山城まで10分。砥石城まで15分。
砥石城 米山城址編

まずは米山城から見ていくことに。道を左に折れ、進みます。
砥石城・米山城址編

かなりの急坂道です。
砥石城 米山城址編

自然のまま、岩場のような道も。
砥石城 米山城址編

分岐点から距離的には差ほど道のりは無いはずですが、とにかく坂の勾配が急です。岩場道を過ぎると、ロープにつかまりながら登って行きます。
砥石城 米山城址編

ようやく見えて来たる米山城への虎口。
砥石城 米山城址編

虎口に立ち、そこから見た米山城本郭。左手方向にはさらに下に続く段郭が、右手には村上義清の石碑などがあります。
砥石城 米山城址編

米山城

米山城は、砥石城の西南方の峰続きにあり、本郭の南下に二の郭、三の郭を配置し、その下に腰郭も築かれています。
村上義清が武田信玄に攻め込まれた時、水の手から水が汲めなくなり、落城寸前に追い込まれます。その時、義清は家臣に米蔵から米を桶に入れて持って来させ、馬の背を洗うように命じました。これを見ていた信玄の家臣は「馬を洗う程の水があるとは、とんでもない城だ!」と後ずさりし始め、そこを村上軍が一気に攻め込んだという、『白米伝説』も残されています。
これが『信玄の砥石崩れ』と語り継がれる不覚の戦いのことで、逃げ遅れた武田軍は、横田備中守ほか千数百人が討ち死にしたそうです。
砥石城 米山城址編

本郭南側に立ち、郭全体の様子。写真右手のベンチ奥に、登城して来た虎口あり。
砥石城 米山城址編

真正面に建つ石碑には 『村上義清公之碑』
砥石城 米山城址編

石碑の文字を書いたの方は「輝虎14代孫 従2位伯爵 藤原茂憲」とありますが、これ、最後の米沢藩主であった上杉茂憲公のことですね。(輝虎とは、言わずと知れた上杉謙信公のこと、上杉氏の名跡を継ぎ上杉輝虎となりますが、上杉氏の姓は藤原であるため、茂憲公もここでは藤原との表記になってるのかと。)
義の心を受け継いだ人の文字を、ここで拝見出来るとは。。。

そして、石碑の周辺には、大小様々なそぼ穴のあいた石が幾つか見られました。
砥石城 米山城址編

砥石城 米山城址編

砥石城 米山城址編

石碑の後ろ側からは、先ほど登って来た道が監視出来ます。私から随分遅れ、旦那とちびが登って来た姿もここから確認です。
砥石城 米山城址編

私の足元付近(本郭北側)には当時のままの石積みが残されています。要チェック。
砥石城 米山城址編

旦那、ちびとも合流したので、2人は本郭に休ませ、私だけもう少し下まで見学して来ようと思います。

本郭南隅から見た二の郭。
砥石城 米山城址編

さらにその下の三の郭。
砥石城 米山城址編

城の構造としては、ごく単純な三段構えの郭に思いました。

三の郭下の切通し状の虎口。
砥石城 米山城址編

最下部の腰郭。
砥石城 米山城址編

麓へと続く城道。(こちらが大手?)
砥石城 米山城址編

このまま道を進んでは、麓の金剛寺公民館まで下りてしまいますので、家族の待つ米山城本郭まで戻りました。

武田軍が落とせなかった砥石城ですが、翌年(天文20年・1551年) 武田氏配下の真田幸隆により砥石城は呆気なく落され、米蔵が燃え、現在でも米山城の土を掘り起こすと炭化した米が出現するとの事です。
砥石城・米山城址編

米山城を後にし、分岐点まで戻り、次回記事ではいよいよ砥石城へと攻め込みます。
砥石城へとつづく。。。

登城日:2011年10月9日(日)
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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