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逆ダケ@西方寺旧跡

2012年01月15日
親鸞聖人と七不思議
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鳥屋野にある 西方寺旧跡 です。 
逆ダケ@西方寺旧跡
承元元年(1207年)親鸞聖人35歳の時、念仏弾圧によって越後に流罪となりました。居多ヶ浜に上陸した親鸞聖人は、流罪1年目は国府代官監視の元、米と塩をもらいながら「延喜式」による流人生活を 竹之内草庵 にて送り、翌年からは 竹之前草庵 へと移り、恵信尼と共に自給自足の農耕生活をしながら越後の人々と交わっていく事になります。
親鸞聖人が越後で過ごされたのは7年間ですが、国府から鳥屋野に移り、歴元年(1211年)この地に草庵を結び、浄光寺と号されました。その後、浄光寺は新潟町へ寺基を移転し、さらにその後は能登国羽咋郡北畠村に創立した北圃山西方寺が、天正9年(1581年)3月に新潟町へ寺基を移転し、さらに東本願寺の命を受け 元和4年(1618年)一説には元和5年4月に親鷲の旧蹟地守護のため鳥屋野へ移ったといいます。
本堂は、草庵をお守りするように向かいあって建立され、立派な杉林の街道があったそうですが、寛政8年(1796年)火災に遭い、萱葺きの本堂は焼失。享和元年(1801年)現在の西方寺が建つ場所に再建されています。

現在の西方寺はここにはないのですが、一歩山門を入れば当時を偲ばれるもの、歴史を感じるものが多く残されています。
逆ダケ@西方寺旧跡

草庵境内には、親鸞聖人が朝夕使われたとされる井戸と、衣を掛けたと伝わる 袈裟掛けの松 があるそうですが、石碑があるので、石碑後ろに見える井戸とこの松の事でしょうか?山門両脇にある黒松は、共に保存樹として昭和50年に指定されているものでした。
逆ダケ@西方寺旧跡

親鸞聖人はこの地に草庵を結び、3年余りの月日を 農民と共に暮らしながら布教して過ごされたそうです。

現在、綺麗に再建された御旧跡。
逆ダケ@西方寺旧跡

逆ダケ@西方寺旧跡

写真右の菩提樹も、昭和50年指定の保存樹。
逆ダケ@西方寺旧跡

草庵境内には、見上げる程の親鸞聖人の銅像があります。
昭和10年(1935年)6月23日に御銅像の除幕式が行われたそうですが、8年後、戦時のため召集されてしまいます。昭和55年(1980年)清水フード・中島清会長により、再建された聖人像です。
逆ダケ@西方寺旧跡

親鸞聖人銅像建立の碑と、再建の碑。
逆ダケ@西方寺旧跡

もうひとつは嘉永3年(1850年)建立の 親鸞聖人の歌碑。
逆ダケ@西方寺旧跡 
『此の里に親の死したる子はなきか 御法(みのり)の風になびく人なし』
この地で布教活動を続けた親鸞聖人ですが、なかなか人々に受け入れられず、その苦悩を吐露したとされています。

「我が教義真意なら、この枯竹必ず根を張り芽を出すべし」と、自らの教えが広まらないことを嘆き、手持ちの竹杖を挿したところ、逆さに枝葉が付く竹になって根付き繁茂したと伝えられるのが「越後七不思議」のひとつになっている、今回の “逆ダケ” です。
逆ダケ@西方寺旧跡
ここまでの写真を見てもお分かりのとおり、銅像や石碑の周囲にはすでに竹の姿が見られ、寛政8年の火災により西方寺の本堂が焼失し、享和元年に現在本堂のある場所に再建されたため、逆ダケの竹林と親鸞聖人ご旧跡は飛境内にあるわけです。
枝が下向きに生える竹は貴重な奇態植物とし、大正11年(1922年)10月12日内務省より派遣された理学博士・三好学氏の調査により、全竹林が国の天然記念物に指定されます。
竹藪は、西方寺の住職が所有・保護して来ましたが、約3,000坪にも及ぶ竹藪のため、その保存にも問題が生じはじめ、鳥類の営巣による悪臭、.騒音に伴う地域住民の苦情などがあり、また、治安・防災上の不安からくる環境改善の陳情も度々行われたといいます。
逆ダケ@西方寺旧跡 
竹藪の保存管理を巡って、長い確執は続き平成15年(2003年)文化庁の了承を得てようやく、所有者・行政・専門家による「天然記念物保存 管理計画策定委員会」 が発足。
平成17年(2005年)3月新潟市が保存管理計画を策定。
平成18年(2006年)12月議会で公有地化を提案し、土地を買収。
平成20年(2008年)近隣住宅との間に緩衝地帯を設置、藪の刈り込みなどを実施。
そして、平成21年(2009年)5月30日より「鳥屋野逆ダケの藪」として一般公開させるようになりました。

逆ダケは “ハチク” という種類の竹です。
逆ダケ@西方寺旧跡
この “ハチク” の中に、極度に枝が下向きに垂れ下がった状態の不思議な竹があり、それが “逆ダケ” と呼ばれるものです。
約3,000坪のハチクの竹林中に、枝の1本でも垂れ下がっているものまで数えると、平成5年(1993年)の調査時では、群落中の多い場所では30%程度の割合で “逆ダケ” になっていたそうです。平成20年(2008年)3月の調査によると、全体で780本の逆ダケを確認し、園路沿いのものにはビニールテープが巻かれているので、それを目印に探してみると、案外、容易にその姿を確認する事が出来ます。

竹藪内の様子。
逆ダケ@西方寺旧跡

さっそくテープのあるものを発見!
逆ダケ@西方寺旧跡

アップにしてみると分かり易い?
逆ダケ@西方寺旧跡

次々に見つかります。
逆ダケ@西方寺旧跡

木漏れ日も差し、竹藪の中は明るくて癒されます。
逆ダケ@西方寺旧跡

逆ダケ@西方寺旧跡

御旧跡の裏にあたる付近には史跡 “吊り鐘池跡” の石碑があります。池の場所は、この碑より北方110mの地点だそうです。
逆ダケ@西方寺旧跡
「現在の西方寺以前の浄光寺に檀家も少なく、新潟に引越しされし折り、吊り鐘を船にて運びし所、水田に没し約30アールの丸い池になったと言い伝えられている池」と、説明が添えられていました。
逆ダケ@西方寺旧跡
また、御旧跡地から道路を挟み、当時 西方寺のご本堂のあった場所は、現在西方寺の墓地になっていますが、親鸞聖人の苦行を偲ばせる縁の“御枕石” を見る事も出来ます。
逆ダケ@西方寺旧跡

御旧跡南方面の観察路と石畳の様子。。。
逆ダケ@西方寺旧跡
この道を歩いて行くと、東門程近い場所に「順徳上皇 御馬繋の榎」の石柱があります。
承久3年(1221年)承久の乱により後鳥羽上皇は隠岐、順徳上皇は佐渡、土御門上皇は土佐へと配流になりました。順徳上皇は、佐渡への途次、親鸞聖人の遺徳を偲んで遺跡を訪ねられたという事です。
逆ダケ@西方寺旧跡
鳥屋野神社境内には相馬御風に原筆を依頼し、刻まれた句碑があります。
『はしたかの 鳥屋野の浅茅ふみわけて おのれとかえる 秋の旅人』
逆ダケ@西方寺旧跡
上皇が5月9日に佐渡に向かわれる事になり、別れを惜しんだ村人が、前夜に灯籠に火を入れ、ご馳走し歌い踊ったといい、毎年5月8~9日に行われている鳥屋野神社のお祭り、おでん・とうろう祭り、そして六階節の踊りとなり、今に引き継がれているそうです。

現在の西方寺です。
逆ダケ@西方寺旧跡
寛永8年の火災により竹藪の地より移り、享和元年(1801年)にこの場所に再建されたご本堂。
逆ダケ@西方寺旧跡
西方寺では蓮如上人の歌や、蓮如上人縁の染め分けの竹も一緒に拝見する事が出来ると聞いて
来たのですが、4時を僅かに過ぎた時刻。。。お堂の入り口は、すでに閉ざされていました。

訪問日 : 2011年9月25日(日)
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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