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晩夏の五智国分寺にて♪

2011年09月25日
歴史を訪ねて
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8月28日(日)の上越の旅。
次は、居多神社から歩いて数分のところにある五智国分寺です。
居田神社同様に、前回訪問したのは「天地人」を巡る旅の時でした。今回は季節も違い、時間的にもゆったりしていた日でしたし、お寺へ出向いたきっかけも違っていたので、また新たな魅力を発見する事が出来ました。前回は大急ぎでの見学だったので、お寺の標柱の文字が梵字だったことも、全く気が付かずに通り過ぎていました。

今から1,200年程前の天平13年(741年)聖武天皇が日本の平和と繁栄を祈願し、その国ごとに国分寺を建立されます。越後の国に建てられたのが、このお寺というわけです。本尊が五智如来なので、五智国分寺ともいいます。

「安國山」 の大額のかかる山門。天保6年(1835年)能生谷小見村(能生町)の七郎左衛門が中心となって再建したもので、両脇には高さ2.7mの仁王像が安置されています。仁王像は、天保7年(1836年)の作だそうです。

山門をくぐり境内に入ると、まずこの三重塔に目を奪われます。


三重の塔は、寛政6年の火災以後、安政3年(1856年)に着工されました。慶応元年(1865年)には上棟され整備されてきましたが、高欄などが未完成のままだそうです。

塔の壁面には高田の名工・石倉正義銘の十二支と、中国十二孝の半分の彫刻がはめ込まれています。1つ1つ丁寧に彫られた細工、グルッと上を見ながら探してみるのもいいです。

五智国分寺 御本堂です。


天平年間(740年代)聖武天皇の勅願によって建立された当初の所在地は不明だそうです。
永禄5年(1562年)7月、廃寺のようになっていたところを上杉謙信公によって、現在の場所に再建されました。その後幾度となく災興を繰り返し江戸時代には元禄2年、寛政6年と火災に遭い、現在の御本堂は昭和63年焼失後の平成9年に再建されたものです。再建された御本堂は鎌倉時代のものをモデルとし、青森ヒバ材を使い外見は簡素で、内部は重厚な造りで槍かんな仕上げになっています。

大日如来、薬師如来、宝生如来、釈迦如来、阿弥陀如来、5体の御本尊様に見守られながらの参拝は、毎回何処か緊張します。ご本尊様にお参りの後は、上杉景勝公からの御朱印状を拝むもの忘れずに。

。。。と、ここまでが過去記事にも触れてある部分ですが、境内にはその他多くの石仏や石碑が見られます。

その中に、元禄2年(1689年)7月8日(旧暦)に高田の医師、細川春庵氏を訪ねた際、松尾芭蕉が詠んだ歌の句碑がありました。明和7年(1770年)に建てられた句碑です。
薬欄に いづれの草を くさ枕
薬園の草が秋で美しいが、どれを枕としてここに旅寝しようか。。。 と、主人への挨拶を込めて詠んだ句です。細川春庵は薬畑を栽培し、大変美しい庭だったと言われています。
松尾芭蕉は、正保元年(1644年)伊賀上野に生まれ、俳句の道を志し20歳の時に初めて俳書に掲載されました。寛文12年(1672年)江戸へ出て創作活動を続け、元禄2年3月末、弟子の曾良と共に奥の細道の旅に出ています。
芭蕉は、旧暦の7月2日に新潟に着き、3日 弥彦、4日 出雲崎、5日 鉢崎(柏崎市)、6日 今町(直江津)を訪れ、翌7日も滞在し、8日から10日までを高田で過ごしたようです。
地図を思い浮かべながら、移動した経路を辿ってみますが、日に3~40kmくらいで移動してますかぁ?昔の人は健脚ですね。

そして、五智国分寺へ参拝の際は「しょうにん茶屋」でひと休み!
昔懐かしく美味しい “五智さんのところてん” もどうぞ! ( ^-^)_旦""


さて、この日の五智国分寺、ここからが本題です。
長くなりそうですので、記事は一旦ここでUPします。 つづく。
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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