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山本勘助墓所

2009年12月26日
歴史を訪ねて
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千曲川河川敷の耕作地にある“信州柴阿弥陀堂跡”の碑です。
信州柴阿弥陀堂は親鸞上人真筆の『十字名号』を本尊として開基しました。
山本勘助墓所

永禄4年(1561年)の川中島の戦いでは、武田信玄が戦没者の霊を弔うため陣小屋を寄進し、善光寺如来御分身仏を奉安したと伝えられます。また、上杉謙信も使者を遣わして礼を拝したといいます。

≪在りし日の信州柴阿弥陀堂の絵図≫
山本勘助墓所

かつて、山本勘助の墓とともに建っていた浄土真宗のお堂ですが、昭和初期の千曲川築堤により移転を余儀なくされ、現在では、ここから東方約300m、国道403号線沿いに移築されているそうです。

お堂が移築されてしまい、河川敷に取り残されたようにある山本勘助の墓です。(合掌)
山本勘助墓所

山本勘助(道鬼)の墓
山本勘助は三河の国(愛知県)の出身、26歳より諸国を巡り修行し、天文・兵法・槍術・築城技等武芸百般を体得した後、44歳にして武田信玄の軍師となり、数々の策略を立て、上杉謙信の攻略に備えて築いた海津城(松代城)の構築も手掛けました。

永禄4年(1561年)9月10日の激戦において信玄に勧めた「キツツキ戦法」を謙信に見破られ、武田軍は一時苦戦に陥りました。勘助はその責任を感じ、敵陣へ駆け込み奮戦しますが、上杉家の猛将柿崎景家の手勢に取り囲まれ、四方八方から槍を撃ち込まれ、落馬したところを坂木磯八に首を取られています。享年69歳でした。

最初、勘助の墓は、陣ヶ瀬の東、勘助塚にありましたが、千曲川の流れにより荒廃していく姿を憂い元文4年(1739年)に、松代藩家老・鎌原重栄、原正盛が、信玄ゆかりの信州柴阿弥陀堂境内に遺骨とともに移し、墓碑を建立したものです。文化6年(1809年)には、孫の鎌原重賢が末永く墓を守るためにさらに石積みし現在の姿となっています。

墓石の側面、裏面には、たくさんの文字が刻まれています。

山本勘助墓所
山本道鬼入道は三州牛久保の産也 壮年武術を成し霜辛雪苦幾十年 既に四十四歳にして武田信玄に仕う 君之を奇とし称えて軍師と為し 且つ道鬼の号を賜う蓋し其の公の機鋒日 月の上に出て無辺の心量天地の外を包む 故に兵を用うれば権柄手にあり 抑楊褒貶与奪殺活自在たり 時に臨んで天下計る能はず 就中戸石の合戦に摩利支天を称するを見る者天下皆人に知らる 焉んぞ痩くさん哉然る後此の地甲州一戦の 時白刃交わり両者蹙く玄君危急の秋公能く 危亡を顧みず短刀直入声江河を折り 河勢雷電を崩す是の故に越軍丕に敗る 然れども君の為忠死せり 実に永禄四年辛酉秋九月十日(新暦十月二八日)也

山本勘助墓所
古墓今陣ヶ瀬東高畑中に在りて 半ば有る無しなり古詩に曰く 古墓犁れて田と作る成るかな 是の言誰かみるに忍びんや 爰に原正盛英士會て武田家の軍術を探り淵源に深徹す 其の徒藤原帯刀重考英士深く 道鬼の武功に感じ新たに石表を促さんと 雖も不幸にして短命にして卒す 其の孝子重栄英重慈父の志を続け 世財を抛って石碑を造立し 地を柴村に移し永く高名を仰ぐ 其れの厚志至れり尽くせり、戯原、藤原左祖に依らずんば 能く公の古墳の再建を観んや 三僧不才を愧じず之が為に 碑文並びに銘を賦して 後生に貽して曰く嗚呼道鬼 武功忠義 古又憶之 今復想是(いにしえまたこれをおもう いままたこれをおもう)
文政四年巳未年(1739年)蠟月(12月)二日 寒松山僧補嶠叟誌

台座を高くして保護したため、現在でもハッキリと文字が読み取れますが、墓石にプロフィールが彫り込まれてる。。。とでも言うべきでしょうか。偉大なる軍師の死を悼み、後世まで伝えたかったのでしょう。 
2007年の大河ドラマ『風林火山』の主人公でしたから、当時は、大勢の人がお参りに訪れたことでしょう。

最も激しかったと言われる第四次川中島の戦い。。。
激戦は僅か半日でしたが、武田勢は山本勘助の他にも信玄の弟の信繁や 諸角虎定、初鹿野源五郎らが討死しています。
上杉勢では幹部の戦死者は出ませんでしたが、この戦いで、荒川長実と 夏戸城主であった志駄義時が亡くなっています。父が亡くなった時、わずか2歳だった志駄義秀は、祖父の後見で夏戸城主になるわけです。この他にも、両軍合わせて8千人がこの地で亡くなったと言われています。
どれが誰の首なのかも分からず、古戦場近くの川で首が洗われるとその川は血で真っ赤に染まり、3日間赤いままだったといいます。その時の様子から、この川は「赤川」と呼ばれるようになりました。
また、上杉軍から奪い返した首のなか、隻眼であったため、勘助の首は容易に判別出来たといいます。山本勘助の首と胴を合わせたという伝説の場所には“胴合橋”が残っています。

武将の首を捕ってナンボの時代。。。一番の見せ場になるはずのシーンも、ドラマでは残虐過ぎてそういう場面が無かったと、地元ボランティアガイドのおじさんが話していたのが印象的でした。

この日、動物園も入れて4箇所目だったため、タイムアップで見学出来なかった場所がありました。
上杉の陣が置かれたという妻女山を含め、また改めて出掛けてみたいと思います。
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そふぃあ
Posted by そふぃあ
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