糸魚川大火から完全復活した「そば処 泉家」の霧下そばと糸魚川の今

2019年07月25日
イケ麺パラダイス 6

柏崎の可愛いパン屋さんで念願だったパンを購入したあとは、久しぶりに糸魚川まで足を延ばし、ずっと気がかりのままだったお蕎麦屋さんでお昼にしました。

糸魚川市大規模火災後、一番最初に現地再建を果たした老舗「そば処 泉家」

新しくなった泉家の看板

この度お邪魔した「そば処 泉家」は、明治期に創業の糸魚川屈指の老舗店。現在は五代目がその暖簾を受け継ぎ、家業であるそば打ちを続けていらっしゃいます。

糸魚川市大規模火災直後の泉家
店内に掲げられていた火災直後の泉家の写真

2016年12月22日の昼前に発生した、あの忌まわしい糸魚川市大規模火災。これによって、先代から受け継いできた築83年という泉家さんの歴史を刻んだ店舗も、全てが炎に包まれ灰となってしまいます。

僅か1年3ヶ月で営業を再開させた泉家

雁木まで再建されたそば処泉家の外観

一度底を見た人の底力は凄い。そして、何が源になってそのエネルギーが湧き出すのだろうと思ってしまう。

泉家さんは火災の発生から丁度1年3ヶ月経った2018年3月22日に店舗再建を終え、そば処としての営業を再開されています。この度の糸魚川大火災で被災した事業者のなか、元の場所で事業再開した一番最初のケースが、こちらの泉家さんだったのです。

店舗の再建・開店からさらに1年後の今年4月には、お隣の加賀の井酒造さんから続く店前の雁木も再建され、2年3ヶ月の時を経て一通りの大きな店舗まわり工事が完了し、完全復活されています。

木の香漂う新店舗

泉家内観

「ごめん下さい。」と暖簾を潜ると、店内8割方の客入りで繁盛されているご様子でした。

白木調も眩しく真新しい印象の泉家さんですが、手前にはテーブル席、奥側にお座敷席と、間口が狭く奥に長い町屋風の敷地をうまく使い、火災前の面影そのままに再建されています。

「空いている席へどうぞ!」と言われ、迷わず、1つ空いていたお座敷席へと向かいました。

囲炉裏のあるお座敷席

お座敷に炉が切ってあるのも、以前の店舗時代と同じ造りなのです。

坪庭脇の座敷席

お座敷と厨房の間には、池付きの坪庭も設けてあり、金魚や亀が泳ぐ姿が涼し気です。

お座敷から見るテーブル席の様子

私たちが座った席の後ろには白木の格子戸が設けてあり、お座敷席とテーブル席を粋に分けるという演出が素敵です。

実は今回、私がどうしてもお座敷席を使いたかったのは、床の間に置かれている物を拝見したかったからなのです。

火災前も床の間に飾られていたヒスイ

今も床の間に飾られているのは、火災以前から泉家さんの床の間に飾られていた、糸魚川の名産品「ヒスイ」です。

焼け跡から見つかった布袋像

同じく床の間に飾られていた▲こちらは、奥様が焼け跡から見つけた布袋像。後の写真でも紹介しますが、この界隈には七福神を祀った場所が点在し、泉家さんではこの布袋様が店の守り神だったようです。

焼け跡からは、ご店主が使っていたそば切り包丁も見つかっています。例え言葉は発せずとも、煤けて真っ黒なその姿は、泉家さんの歴史の証人たちに違いないです。

火災前から変わらぬ泉家の霧下そばを味わう

テーブル席側の壁に貼られたメニュー

お隣席の男性が注文してた単品の「玉子焼き」が美味しそうだったり、後からお座敷席に入って来られたご家族が注文されていた、そばと丼もの・サラダまでセットになった「お好み弁当」も豪華で美味しそうでした。

メニューにあるそばはどれも、プラス100円で手打ちに変更できます。

泉家の霧下そば
天せいろ(1,300円)

あれこれ嬉しくてつい舞い上がり、「手打ち」で注文することをすっかり忘れていた我が家です。(汗々)

二八の霧下そば

メニューどおりに注文して提供されるのは、「二八の霧下そば」。

おいしい蕎麦の代名詞ともなっている「霧下そば」は、朝晩の寒暖差が大きく霧が発生しやすい500~700mほどの高所で育ち、冷涼な環境下で収穫されるため、味・コシ・香りの三拍子が揃ったツウ好みのそばに育ちます。

泉家さんの「霧下そば」は、妙高山麓で収穫されたもの。挽きぐるみのそば粉を使っているので、ザラっとした舌触りもあって色も濃いめな仕上がり。弾力のある力強いそばです。

キリッとしたそばツユと薬味

県内、味醂が効いて甘めなそばツユが多い中、泉家さんでは甘みの少ないキリッとしたそばツユでした。何でも、醤油に火入れをしない「生がえし」だそう。すっきりとしたそばツユは、そばの甘みが引き立ちます。

そして嬉しい薬味が「あさつき」。合間にちょっとずつ齧りながら、その辛味と共に啜るそばがまたウマい!

実はこの日、末っ娘が注文していたのが「おろしそば」。小ぶりな丼の中にたっぷりと大根おろしが入って提供され、香り立つ大根の匂いが、いかにも「大根です!」って主張している様子。末っ娘が食べ始めたので、「大根辛いんじゃない?」と聞いてみると、案の定、私の大好物「辛味大根」を使ったおろしそばでした。

途中で交換して食べてみたけれど、夏の暑さも吹っ飛ぶすっきり系の辛さで美味しいこと。次回はこれを食べてみたいけど、他にも気になるメニューがあり過ぎる。(笑)

〆のそば湯

〆のそば湯はサラッと系。お冷のみ提供されるお店なので、食後のお茶替わりに全て綺麗にいただきました。

ご馳走様でした。

とりあえず一区切り 両目が入った紅白ダルマ

会計に向かうと、レジ前には両目の入った紅白ダルマが並んで置かれていました。

ダルマに左目が入ったのは、泉家さんが再建されて開店を迎えた時。さらに残された右目が入れられたのはつい最近(7月初め)のことで、本町通り商店街にあって被災された店舗の方々がほぼ戻って来られたことを記念し、一つの区切りとしてダルマに両目が入ったそうです。

食事のあとは、復興しつつある糸魚川の被災地を久しぶりに巡ってみようと思います。

泉家外観

そば処 泉家 (明治時代創業 / 2018年3月22日復興OPEN)
新潟県糸魚川市大町2-3-3 ※地図

糸魚川市大規模火災から2年7ヶ月 今の被災地の様子

私が初めて糸魚川の地にカメラを向けたのは、2015年冬に開催された「あんこう祭り」開催日でのことでした。糸魚川あんこう祭りの会場が、目抜き通りであり被災した本町商店街。そして、吊るし切りの実演がされたのが、この度お邪魔した泉家さんから1~2軒先の雁木前でした。当時の写真の中、焼け落ちる前の北越銀行の赤い看板なども若干写り込んで見えます。

冬の味覚に技あり!

----- Sunday, January 25, 2015 ----------突然ですが、この魚。。。何だかご存知ですか?では、こうすれば ▼ もうお分かりですよね。(幟旗に書いてあるし。。。)ちび子に、珍しい「あんこうの吊るし切り」の実演を見せたくて、今年で第14回目の開催となる『日本海 糸魚川荒波あんこう祭り』にお邪魔しました。寒中のこの時期にも関わらず...

糸魚川市内で開催されるあんこう祭りは、三週にわたって三会場で行われますが、不思議と糸魚川会場での開催日はお天気に恵まれず、翌2016年は大寒波の悪天候で参加を断念。その年の暮れに火災が発生し、もう二度と昔の街並みを見ることも撮ることもできなくなってしまいます。

私が見てきた被災地

火災発生後の最初の休日、私たちは被災された加賀の井さんのお酒が欲しくて現地入りし、初めて火災現場を目の当たりにします。とてもカメラなど向けられるような状態ではなく、2017年1月に糸魚川会場で行われたあんこう祭りに出掛けた日から、事あるごとに町の様子を見守ってきました。

糸魚川の今

せっかく能生まで来たこともあり、1年ぶりに糸魚川火災の被災地を訪ねました。前週はこちらで「あんこう祭り」が開催されていたわけで、きっと駅前も賑やかだったのだと思います。この日はごく普通の1日で少し閑散とした印象。しかも、能生ではあんなに良いお天気だったのに、糸魚川に移動してくる間に、真冬らしい鉛色の空色に。駅の有料駐車場に車を停めると、そこからトコトコと商店街まで歩いてきました。現在、仮店舗で営業...

▼写っているのは、被災直後の報道で、シンボル的に映し出されていた北越銀行糸魚川支店です。北越銀行前の道路挟んで向かい側に、この度お邪魔したそば処 泉家さんと、そのお隣に老舗酒蔵である加賀の井酒造さんが並んであります。

2017年1月22日の様子
2017年1月22日(被災1ヶ月後)

2018年1月28日の様子
2018年1月28日(被災1年後)

糸魚川北越銀行前
2019年7月21日(現在)

北越銀行脇の景色も一変!ずっと更地になったままだった場所に、平安堂さんが再建されて戻っていらっしゃいました。

今の被災地をグルッと一周巡ってみる

北越銀行前に見える糸魚川本町通りは、その昔の加賀街道の一部です。加賀百万石の参勤交代の宿場として栄えてきたのが、糸魚川という町の歴史のひとつです。

大黒天と真っ黒に焼け焦げた標柱
北越銀行近くにある大黒天と黒こげの標柱

先の話にも出ましたが、商店街の350m区間には、商店街の発展を祈願して設置されたという「七福神」が点在しています。被災前は、それぞれの七福神石像ごとに小さな社が一緒に築かれていました。

当時全焼だった加賀の井酒造㈱

創業慶安三年(1650年)県内屈指の老舗酒蔵である加賀の井酒造さん。前田利常公の時代に、ここに加賀藩の糸魚川本陣が置かれたことでも有名です。越後にあって「加賀の井」なのは、その時に酒銘を賜ったからだとか。

加賀の井酒造

被災直後は、場所を富山の黒部に移して酒造りを続けていた加賀の井さんも、2018年3月に念願の酒蔵が再建されています。現在では酒造りはもちろんのこと、酒蔵見学などもできる様子。建物の外側からも、ガラス越しに酒造りの工程が垣間見れるような建物になっていました。

加賀の井さんの右隣りには泉家さんがありますが、これまで密着していた感じのお互いの建物の間に、防火用のスペースが設けられ、敷地面積に比べてゆったりとした空間になって見えました。

加賀の井酒造の杉玉

枯れきっていない杉玉が、復興から間もないことを物語っているようでした。

歴史を風化させないために残された焼けた蔵

歴史を風化させぬため、焼け残った蔵がそのまま温存されています。

子どもの願いを受け入れる奴奈川姫

商店街にある八福神

再び歩き出し、第四銀行前で「八福神宝船」なるものを発見!▲パッと見て、一人多いのが誰なのか?なかなかわからなかった私。(汗)

あぁ、このお方だぁ!

奴奈川姫社

奴奈川姫(古事記では沼河比売)は「古事記」や「出雲風土記」などの古代文献にも登場し、今からおよそ1,800年前の時代、現在の福井県から新潟県を指す高志国(越の国)の王女として誕生した女性(女神)です。その美貌から、出雲の大国主命が見染て求婚し(古事記・712年)、二人の間に生まれた子どもである建御名方命は、御柱祭で有名な諏訪大社の主祭神です。

糸魚川には奴奈川姫をお祀りする神社や産所もみられ、数々の奴奈川姫伝説が残る地です。糸魚川の人々にとって奴奈川姫は、きっと特別な存在であるに違いありません。

奴奈川姫社にあった子どもの願い

恋愛成就・縁結びの神として七福神の宝船の横に祀られているようでしたが、今では「大火を繰り返さぬよう」という子どもたちの願いが多く見られました。

駅北復興住宅と上刈みかんの木

小規模復興住宅
駅北復興住宅

更地になっていた場所に完成していた、17世帯が入居可能な小規模復興住宅。出入口脇の目につく場所に、火災報知器が設置されているのが印象的でした。

復興が進んだ住宅地は、やはり以前の町並みとは違って隣同士に空間があり、何処かゆったりとした造り。そんな中にさらに防火用の緑地帯が設けられ、聞きなれない「上刈みかんうえかりみかん」の木が植えられていました。

上刈みかんの木
上刈みかんの実と星形5弁の白い花

国内の食用みかん栽培の北限とされていた時期もあり、かつて糸魚川市の上刈地区を中心に盛んに栽培されたのが「上刈みかん」です。温州みかんとは違って皮は薄く、小ぶりで扁平な実。種が多くて酸味の強いのが特徴だそうです。逆に種が多いことから、上刈みかんは繁栄を象徴する縁起物とされ、正月用として雁木の下で売られる光景が、かつての糸魚川「年の瀬の風物詩」になっていたそうです。

甘いみかんが主流になると、上刈みかんの栽培数は激減してしまいますが、現在も保存会の手によって栽培され続けており、住宅地にあった木は、糸魚川大火からの復興を記念して植えられたものでした。

第四銀行前から北越方面の様子
第四銀行前から見た「にぎわい創出広場」

市街地の中心にあり、一見するといまだ更地のままに見える「にぎわい創出広場」。実は万が一に備え、地下にはおよそ200tの防火用水が蓄えられる大型防火水槽が設置されています。これまでイベント毎に活躍してきた広場も、整備計画の具体案がまとまりつつあるそうで、目抜き通り活性化に向け、良い方向に進んで欲しいものだと願わずにいられません。

そして、被災後には仮店舗で営業されていたマルニ木島商店さんも、元の場所に再建されている嬉しい様子が見られました。

広小路通り

広小路通り

たった1本の通路を挟んで、右と左で景色が全く違う広小路通り。

奥に見えるのは、北陸新幹線糸魚川駅周辺の高架橋です。この先左手側には火元であった中華料理店があり、被害にあって焼かれてしまった住宅は真新しく、火元目の前にありながらも、風向きで被害を免れた右手の住宅は以前からの姿であります。

火元だった中華料理店跡

火元だった中華料理店跡地です。

意図せず、取り壊しの前日にもこの場に立っていますが、火の手が上がった厨房付近は焼け方が激しいものの、風向きの関係からか、建物の半分は焼け残っていたのも皮肉なものでした。

この場に立つ度、自分は加害者にならぬよう、火の用心に努めようと強く思います。

おしまいに

糸魚川シャッター街

その多くはイベント時にお邪魔していた糸魚川の町だったので、平時にふらっとお邪魔した町中は、少し閑散とした印象も否めませんでした。町自体が高齢化し始めていたところに、追い打ちをかけるように起こった大火災。人離れが進んでしまったのも確かでしょう。

がんばっているお店にあった犬の置物とDawn太

一方、被災した事業者の8割が営業を再開していること、個人被災者も想定の8割程度が住宅の再建を終えて住まいしていること。ここまでの短い期間に、被災地は確実に復興に向かって一歩ずつ着実に歩んでいるのだと感じました。

今後も自分のできる範囲で糸魚川のこれからに関わり合い、完全復興まで見守っていきたいと思いました。

(Sunday, July 21, 2019 / Dawn太 生後1,609日)

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そふぃあ
Posted by そふぃあ

最後までお読みいただきありがとうございます。
※撮影した写真の著作権は放棄しておりません
画像のお持ち帰りは固くお断りしております※

Comments 6

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さいさん  

再建が早いですね!
お蕎麦美味しそう( ´艸`)
京都アニメーションも早く再建できるといいけど(´・_・`)

2019/07/25 (Thu) 12:36

mizu  

こんばんは

糸魚川市の大規模火災はびっくりしました。
街を焼き尽くすテレビの映像は衝撃的で、、、
絶望から希望へと行動された被災者の皆さんはすごいですよ。
今度、糸魚川へお邪魔してみたいと思いました^^


2019/07/25 (Thu) 18:49
そふぃあ

そふぃあ  

To さいさん

こんにちは!
この地に根付いてきた老舗たちがまず立ち上がったことで、諦めずに地元で再建されたお店も多いと思います。
お蕎麦美味しかったので、また出掛けてみたいと思いました。

京都アニメーションの火災も痛ましいものでしたね。
ファンも多いことですし、早く再建されることを願います。

2019/07/26 (Fri) 09:03
そふぃあ

そふぃあ  

To mizuさん

こんにちは!
暮れも押し迫った時期だったので、どうやって年越しするのだろうと心配でした。
そんな時期だったのに、翌月には例年通りに「あんこう祭り」を開催されていたんですよ。
イベントに参加することも一つの手助けだと思い、大いに散財した記憶があります。
綺麗になった街並み見学に、是非、糸魚川にお越しください!

2019/07/26 (Fri) 09:07

NOB  

こんばんは。

うどん発祥の地の博多に住んでるから「うどん」も好きですが、個人的には「蕎麦派」なもんで、美味しそうな蕎麦見るとワンちゃんじゃないけど、よだれが出てきます。(笑)

着実に復興してますね!
当時TVで見た糸魚川市の大規模火災はビックリでしたよ!
ただ自然災害ではなく人災だった事が・・・

2019/07/29 (Mon) 20:03
そふぃあ

そふぃあ  

To NOBさん

こんばんは!
博多はラーメン文化もうどん文化もあって、食が豊かですね。
お蕎麦はその昔は、米が採れないから育てていたと思いますが、今は贅沢品になりましたね。
同じ県内で味わっても、各店で味わいが違うので、食べ歩きも楽しいです。

糸魚川、着実に復興しています。
火元は有罪判決が出ましたよね。自分も気をつけなきゃと思います。

2019/07/29 (Mon) 21:44